「……ん?ライバルが居たら緊張して練習出来ない。なんて、言わないよね?」
ふと目を上げたお前は、何も意識していないんじゃないかとすら思う。練習室で二人きりだという事も、俺とお前が同じ楽器で学内コンクールで競い合う相手だという事も。
「誰がだ。そっちこそ、貴重な練習時間をライバルに恵んでやって良いのか?」
家で練習するか学校で練習するかの違いだけなんだから、練習時間自体は変わらない。そんな事を言いながら、もうノートに目を走らせてやがる。せめて窓を開けておいた方が……なんて、意識してる俺が馬鹿みたいじゃないか。何も音のしない密室で椅子を引けば、必要以上に大きな音を立てたような気がする。腰掛けて楽譜をめくれば、それが合図だったみたいに声だけが飛んできた。
「ねぇ、余裕があればエンターテナーを弾いてくれない?」
一瞬、何を言い出したのかと耳を疑ったのはしょうがないだろう。それは俺が今度のセレクションで演奏しようとしている曲だったんだからな。反応が無いのが気になったのか、お前はまた目を上げた。無理にとは言わないから気にするなと笑う顔に含みがあるようには見えないが、あまり気分の良いもんじゃない。
「別に構わないが……何でその曲なんだ?」
父親の影響で見た洋画に使われていた曲で単に好きだからと答え、最後に一言――――ピアノで初めて弾けるようになった曲、だと?その時俺は、どんな顔をしてたんだろうな。
「土浦君、どうかした?……そんな顔するほど驚くような事??」
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ゆったりと、流れるような旋律が部屋を満たしていく。軽やかで、華やかで、それでいて落ち着きのあるメロディが。映画では深刻な事件が描かれているのに、使われている音楽はそうじゃない。あくまでも相手に気付かれないまま完璧に騙す事を目的にした大芝居だというのに、だ。表面上だけを見ていれば地味なストーリーだと思えるこの映画に使われている曲は、日常でもよく耳にする。映画その物を知らなくても、老若男女問わずに知れ渡っている有名な曲の一つだろう。だからこそ俺は、この曲を選んだんだ。
もしこいつが……主人公を殺す為に現れた女のように、本番直前まで静かに無関係な状態を保ちながら近付いてきたんだとしたら。俺はそれに気付かず、助けてくれる仲間も居ないまま殺されてしまう哀れな主人公になっていたのかもしれないな。静かに――消えていく音の名残を惜しむように目を閉じたお前の顔が満足気に見えたのは、俺の見間違いじゃなかったんだろう。
「ブラヴォー」
やたらと発音の良い称賛の言葉を投げるその笑顔は、隠れファンが居るとか言われるのも解る気がした。何度か繰り返された拍手に少し気恥ずかしい感じがして……正直、どうもと答えるのが精一杯だ。だが、膝にあった鞄を椅子に置き、こっちへ近付いてきたお前の顔は――。何て言うか、ちょっとした悪戯を思い付いた子供みたいに見えた。真っ直ぐ俺の目を見ながら、お返しに自分も一曲と言ってピアノの前に座る。俺はその場所から動く事も出来ないまま、お前の……その指に見入っていた。
同じ楽曲だとは信じられないほどの速さ、驚くほど明るく激しい曲調。これは――映画のエンディングなんて目じゃない。誰の編曲か知らないが、極端に曲のイメージを変えてやがる。それでもその演奏は正確で、一音の狂いも無いまま終わりを迎える。曲の流れに沿ったまま、驚くほど唐突に。
最後の音の余韻を殆ど残さないまま弾き終わった先輩の顔は、俺が初めて見た真剣さで満ちてた。俺がこいつに何かを感じたのは、多分この時だ。
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父親に喜んでもらえるのが嬉しくて、この曲を弾き始めた。ただ、その父親の好みが激しい曲調だというだけの事で弾き方を変えた結果がこれだと。俺の疑問に答えるお前は、少しずつ昔を思い出すように話し始めた。子供の頃、何の知識も無いまま曲を仕上げるなんて。正直、信じられなかった。だが、その後。何度も奏でられる違う印象の同じ曲を耳にして。お前の言葉は真実なんだと、素直に認められたんだ。
「ああ、そうだ。だが……違う曲にするぜ」
話し終わる直前。そこまで気にするのはセレクション用の曲だったのかと聞くお前に、俺はそう答えた。何でだろうな。少し前までの苛立ちは完全に抜けていて、素直に諦めが付いたのは。悪かったと謝るお前に恥じないような曲を。俺自身が満足出来る曲を弾きたい。そう思うと、この曲は妥当じゃない気がしたから。
「じゃあ、私も弾くから。変更する必要なんて無いよ」
お互いに手の内を見せちまえばお相子だ。今更大変な思いをして曲を変えるよりは良いだろうと言うお前が弾いたのは、幸せを手に入れた瞬間を歌い上げたような曲だった。
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練習は捗らなかったっていうのに、妙な満足感を感じられた数時間だった。そんな事を考えながら校門前を歩いていると、日野と冬海が居た。女三人揃えば姦しいというのは、どうやら本当の事らしい。それでも。普段俺が喧しいと感じる女共とは違うその雰囲気に、何を弾くかが思い当たる。どこか共通点があって、それでも個性的で、華やかなあの曲を。そう思った途端、頭の中で旋律が奏でられる。
「ライバル……か」
音楽は、音を楽しむ為にある。それを形にした結果が何曲ものエンターテナーだと言ったお前がセレクションでエンターテナーを弾かないのは、趣味の曲だからだと言いながら笑う。そんなお前に仲間意識を感じ、同時にライバル心が芽生えたのも判った。それが少しずつ俺を変えていくなんて気付かないまま、数日後――俺達は第1セレクションを迎える。

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(壁紙:篝火幻燈/篁 龍沙さま)
※スティング:1973作・作品賞、脚本賞、ミュージカル映画音楽賞、音楽賞等のアカデミー賞受賞作品。1936年、シカゴ近郊のダウンタウンに住むイカサマ詐欺師を主人公にした作品で、物語は主人公が騙して金を奪ったマフィアによって師匠が殺されるという深刻な始まり。その後、主人公が師匠の旧知の友人に助けを求め、詐欺師仲間を集めて仇を討つまでが描かれている。音楽は一世一代の詐欺の計画を始めた酒場の一室の場面から少しずつ挿入されている。
騙すのなら完璧に、尚且つ大きく騙せ!という心意気の感じられるイカサマコンビと、その仲間達の動向。ギャング、警察、FBI、それらを取り巻く様々な事情を巧みに利用した復讐劇の終幕は、爽快感を覚えるほど。見ている者を最後まで飽きさせない展開で、実際に詐欺を働く場面からは「THEHOOK@釣り針」「THE WIRE@有線」等のタイトルが詐欺の動きに準えて付けられているのも面白い。映画のタイトルとなっている「THE STING@本番」も、その一つ。とはいえ、後半は単に私がそう感じるというだけですが。
週明け、練習室の様子。
二人のライバル意識と仲間意識は、この時目覚めた。
とか格好つけてみる。
橘朋美
FileNo.108_02 2009/11/25 ※2010/10/13修正加筆 |