modulation
土浦梁太郎




梅雨明け宣言が出たからって、この蒸し暑さはどうなるものでもない。肌に張り付くシャツが鬱陶しくて、さっさと帰ってシャワーを浴びたい。夏休みになれば少しはマシだろうが、あいつとはあまり会えなくなるのか。そんな事を考えていた夏の夜は、まだ始まったばかりだった。

「ええ、閉まってましたよ。判りました。じゃあ、俺はこのまま帰らせてもらいます」

森の広場を抜けながら校門前に居る筈の部長に電話していると、どこからか歌声が聞こえてきた。誰が歌っているのかは判らなかったが、妙に心を揺さぶられるような歌が。だが、こんな時間に……?そいつを探そうと思ったのは、只それだけの理由でだ。声を頼りに進めば、普段なら踏み込まない所に向かっている。草や木が整備されていない、暗く奥まった場所。月が出てなけりゃ何も見えなかっただろうな。そいつのシルエットが見えた時も、そんな悠長な事を考えてた。

近付いて、声をかけようとして……どれくらい見てたか。そこに居たのがお前だった事も、お前が歌っている曲も、驚くのは当たり前だろう。歌っているのはそれなりに有名な曲だが、それはフレーズだけだ。少なくとも、素人が趣味で歌う曲じゃない。恋人を思う女の曲は多いが、この曲は確か……。薄暗い森の中で激しい憤りを歌い上げたお前は、どんな気持ちなんだ?その歌の女ように、全てを忘れてしまいたいと望んでいるのか?それとも歌の結末のように、別れを告げるつもりなのか?聞きたい事は山ほどあったが、何一つ聞けなかった。

歌い終わった途端その場に蹲っちまったお前に、何が聞ける?だが、それを放っておく事も出来なかった。こんな時にどうしたら良いのかも判らないまま静かに近付けば、直ぐに誰だと立ち上がったお前。

「土浦君?!いつから……」

「少し前だ。勝手に聞いてて悪かったな」

「そう。……あれ?もうこんな時間。あ、そうだ。これ食べる?私もお腹が空いて……」

「何かあったんじゃないのか?金やんと」

早口で喋りながら包みを寄越したお前が、その一言で止まった。状況は、俺が思っていたほど甘くなかったって訳か。こいつの好きな相手は教師で、それは一方的なものじゃない。その先は、もう何も考えちゃいなかった。お前がいつものお前じゃなくなっちまうみたいで、それが堪らなかったんだ。

そのまま呆然としているお前に鎌をかけたと謝れば、どうして……だって?お前には好きな奴がいる。何となくだが、そんな気はしてた。俺がお前を見ていた時。お前の視線の先に居たのは、大概が金やんだったからな。それでも、お前に対する俺の気持ちと同じなんだろうと思っていたんだ。

黙って聞いているお前と一方的に喋り続ける俺は、もし誰かが見ていれば、男に責められている女にしか見えなかっただろう。

さっきの歌は、今のお前の心情なんじゃないのか?そんな気持ちでいなきゃならないような相手を、ずっと思っていたいのか?お前はそれで満足なのか?!

解っていた事だから。秘密にするって約束したから。私が我慢すれば済む事だから。偶に返ってくるのは金やんを庇うような返事ばかりだ。

どうしてお前がそこまで我慢しなきゃならない?!そんなに辛い思いばかりしてるなら已めちまえよ。俺なら、周りに隠しておけなんて言わない。お前を一人で泣かせるような真似もしない。

静かに涙を流すだけのお前を抱きしめてそう言っても、返事は返ってこない。その沈黙を破ったのは、ムカつくくらい暢気な声だった。

「お〜い、お前さん達。最終下校時刻は疾っくに過ぎてるぞ?」

驚いて体を離すを連れて帰ろうとすれば、相談に乗るから残れだ?だが、に先に帰ってくれと謝られてしまえば帰るしかない。

俺は肩に手を置き、考えておいてくれとだけ言った。金やんの横を通り過ぎる時に言われた言葉には、何も聞こえなかったぜ?と。

■□■□■

漸く課題を片付けて、椅子に座ったまま伸びをする。一曲弾きたい気分だと思った時、腹の虫が鳴いた。ふと思い出して、無造作に投げてあった鞄からが寄越した包みを取り出す。小さな包みから出てきたのは、割れちまったラングドシャ。

「ったく……冗談じゃないぜ」

悪態を吐いたところで意味は無い。それは解っているが……。遣り切れない思いを抱いたままベッドに寝転がると、着信音が聞こえた。確かめなくても判る。連絡網だと言われて渋々教え合った、コンクール関係者専用の着信音。このタイミングで、以外の奴からメールは来ないだろう。


Fm : 
Sub : ありがとうね。
今日はみっともないトコを見せ
た上に迷惑をかけちゃって…
ごめん。でも、土浦君のお陰
で少し気が楽になったよ。本
当に感謝してる。

それと、こういう言い方は卑怯
かもしれないけど……私は、
人として土浦君の事を好きだ
よ。男の人としても好感を持て
ると思ってる。けど、やっぱり
諦め切れないんだ。

それでも、出来れば明日から
もこれまで通りに接して欲しい
って言ったら……駄目かな?

内容も思った通りだな。諦め切れないって事は……あの後、丸く収まったって訳か。情けない話だが、少し期待していた。弱味に付け込むなんて真似はしたくないが……時と場合によっては、それも変わる。事、お前に関しては。

「駄目っていうか……残酷だろ」

お前を好きだと気付いてから、もう二ヶ月近く。これまで通りって言うなら、昨日までと同じように接するさ。お前が金やんを好きなんだと知っても諦められない、俺の負けなんだろうからな。それに……俺の気持ちを知っていても、お前は突き放さないっていうなら、尚更だ。

■□■□■

あのメールに簡単な返信をしてから何日か。いつもより早く家を出たのは、あいつに会う為だ。我ながら、よくこんな事をする気になったものだと思う。恋愛が人を変えるってのは間違っちゃいないと証明出来そうなくらいだ。

「おはよう、

戦争と恋愛は、躊躇って手段を選び切れない側が負けるものだ。何で読んだんだったか……忘れちまったな。まあ、そこまで手段を選ばず攻撃するつもりは無いが――。

「ああ、そうだ。土曜の夜、ピアノのリサイタルがあるんだ」

これぐらいの事、しても構わないだろう?予約済みってのは、完売とは違うんだ。どちらかの都合でキャンセルされる事だって珍しくない。

「貰い物なんだが、そのチケットが二枚あってさ」

間に割り込まれてあからさまに不機嫌な顔をする金やんに目を遣り、朝っぱらから二人きりで妙な雰囲気を醸し出してちゃバレちまうんじゃないか?と呟けば、土曜日か〜昼間は練習したいけど……と、隣から嬉しそうな声がする。

「俺も昼から練習室を予約してあるから……ああ、何ならついでに連弾でもしてみるか?」

自分好みの曲目が並ぶパンフレットに目を輝かせてるお前は、この誘いを断らないだろう。一人では絶対に出来ない連弾の誘いを断る事も、多分無い。

「ははっ、決まりだな。じゃあ、土曜日の昼に」

確かにと金やんは両思いなんだろうが……。今ならまだ、可能性はゼロじゃない。だったら何で諦める必要がある?何もしないで諦めるなんて、俺はもう御免なんだ。

俺がお前を好きじゃなくなるか、お前が俺を嫌いになるか。それとも金やんが、お前を手に入れたと公言するか。そうなった時、俺の可能性はゼロになる。その時まで、俺は諦められないだろう。たとえそれが無駄な足掻きなんだとしても。

――お前への思いを。





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(壁紙:Kigen/kazuさま)

誕生日に不憫な…と、思わなくも無かったですが。
最終告白までは全股OK!ってのが本編ですからねぇ。
こんな展開になってくれたら……!!という、煩悩爆発短編です。
結果、どうなったのかはさんの想像次第って事で。





橘朋美







FileNo.107_03 2009/7/25 ※2010/10/12修正加筆