prelude
月森蓮




彼女に初めて会ったのは、まだ小さな子供の頃の事だ。確か……三才になったばかりの頃だった。彼女の母親と会ったのは母のリサイタルの時で、その時に同じ年頃の娘が居るとは聞いていたが……実際に会うまでは、その存在すら気にしていなかったくらいだ。

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初めて会った時は、母にピアノを弾いて聞かせてあげるようにと頼まれた。ヴァイオリンではなくピアノをというのが不思議だったが、彼女の勉強の為にと言われた事もあって承知したんだと思う。記憶が定かじゃないのは、俺が幼かったからだろう。それ以来、彼女と直接会う機会は滅多に無かったが、彼女の練習している楽曲は何度も耳にしていた。その頃の俺が言える程ではなかったんだろうが……技術的には荒削りで、感情だけが先走っているような演奏だったな。

何年かした頃には技術も身に付き、それなりの評価を得られるだけの演奏になっていると思っていた。久し振りに彼女と直接話したのは、そんな時だった。玄関で擦れ違い様に声をかけられた時には、随分驚いた覚えがある。どうしたら巧く弾けるようになるんだろうかという問いに、俺は俺なりの考えを返しただけだ。だが彼女はそれが気に入らなかったのか、直ぐに帰ってしまった。俺よりも巧く弾けるようになってみせるという、的外れな宣言を残して。

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「おーい、蓮君。どうかした?」

目の前で手を振る君の声に何でもないと返し、いい加減、その呼び方はやめてくれないかと付け加える。小さな子供じゃないんだ、他の呼び方にしてくれと。

「小さな子供の頃からの癖なんだから仕方ないと思うんだけどな」

まったく……ああ言えばこう言う。大体、俺と君はそんなに――そんなに?親しい間柄でもない。そうだ……。何故俺はそう言えないんだろうか。少なくとも、母親同士のように友人と呼べるような間柄ではない筈なのに。
やめてくれと言いながらも、呼ばれれば返事をする。それは――――彼女が俺を呼んでいると判るからだ。そう呼ぶのをやめて欲しいと思うのは……小さな子供のようだから?そんな事を考えていれば、君の口からは思いもしない言葉が。

「そんなに嫌なら他の呼び方を考えるけど…………つっきーとか?」

「…………何故そうなるんだ」

その申し出を即座に断るのは当然の事だろう。そんな呼ばれ方をするくらいなら今のままのが余程良い、と。

「ありがとうね」

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予鈴が鳴り始めると同時に屋上を出て行く。またね。と手を振る君に背を向けて思い出したのは……二年以上前の事。

「ありがとうね」

彼女が母にピアノを習うのは、中学卒業までで終える事になったとは聞いていた。まさかその最後の日に彼女と会うとは思ってもいなかったが。いきなり彼女から礼を言われるなんて、俺からしてみれば何の事か判らなかった。

俺の一言のお陰で向上心が上がり結果的には技術も上がったと言う彼女はとても嬉しそうで、それを勘違いだと言っても聞かないまま。もう会う機会も無いだろうと告げる彼女は、少し寂しそうに見えた。俺が少なからず彼女に心を許したのは、きっとその時からだ。だからこそ、いつに無く言葉を交わす気になったんだろう。君の寂しそうな顔を和らげたのは、最後の一言だったな。

「一年もすれば、また顔を合わせる事になるだろう」

ただの知り合いと言うには深く、友人と呼ぶには浅いだろう関係。この関係が変わる時が来れば、俺も――――君の名を呼ぶのだろうか?





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(壁紙:NEO HIMEISM/雪姫さま)

名前変換無し第2弾!なんて言うほどのものじゃないが、
これなら更新出来るので書いたprelude月森編。
でも、やっぱり早く名前変換のあるものを更新したいですねぇ。
ウィルスの馬鹿野郎ー!!





橘朋美



FileNo.104 2009/5/20 ※2010/10/12修正加筆