prelude
王崎信武



自分の生まれ育った地区じゃないけど、この街は好き。どこへ行っても必ず音楽が聞こえてくるか ら……って言うのは、流石に大袈裟かな。それでも、他の街よりは音楽に関わる事が多いと思う。音楽専門の高校や大学もある所為か、商店街にある店も音楽関連の品揃えは抜群だったりするし、コンサートホールでは結構頻繁に演奏会が開かれてる。予定の無い休日にしか行けない私でさえ、何度か足を運んだ事があるくらいだ。

「はいはい、っと。ヤマト、今日はこっち」

いつもの散歩コースを外れて向かう先は、海浜公園。名前の通り海に面した大きな公園で変わったオブジェなんかも幾つかあるんだけど、休日ともなると小川沿いにあるアイスクリームスタンド目当ての人や、練習目的で来る近くの学校の生徒達で賑わう場所。かく言う私も、休日になるとこの公園を一周してから浜へ下りて家に戻る散歩コースを好んで歩く。ヤマトを飼い始めてからの習慣だから、もう五年くらいになるのかな。特に一昨年からは凄く巧い人がいて、休日の散歩が楽しみになってるんだけど……。

「うーん……何か妙な感じだなぁ」

いつもと雰囲気が違う。聞こえるのは海と人のざわめきと、幾つかの曲。いつもならもっと色んな楽器の音がするのに、不思議と今日は――うん、かなり巧い人の音しか聞こえないんだ。フルートと……多分、ピアノ音に調整されたキーボード系の楽器。あとは、あのヴァイオリンの音も聞こえる。けど、何ていうか……。暫く立ち止まったまま考えていたら、いつの間にかヤマトが居なくなっていた。しかも……リードごと。

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「どうしたの?もしかして、迷子かな」

キョロキョロしながらヤマトって呼んでいる女の子が、おれの視界に入った時。目が合って……その一瞬、どこかで会った事があるような気がした。まだ少し幼い感じの女の子だけど、どこかで会った事があったかな?なんて思いながら、迷子なら探してあげなきゃって声をかけたんだ。

「あ、はい。ちょっとぼーっとしていたら、どこかに行ってしまって……」

ちょうど練習を終えたところだし、おれも探すのを手伝うよ。ヴァイオリンを片付けながらそう言えば、悪いですからと言って遠慮する女の子。でも、だからって放っておく事なんて出来ないし……。やっぱり、知らない人に声をかけられちゃうと不安なのかな?

「怪しい人間じゃないから安心して。それに、暗くなる前に見付けてあげないと心細い思いをしてしまうだろうから、手分けして探そうよ。ヤマト君っていうんだよね?」

結局、海側と公園側に分かれて探す事になったんだけど……。海岸には殆ど人が居なくて、幾ら名前を呼んでもヤマト君は見付からないし、辺りに居た人達も心当たりが無いって。

「ごめんね、おれも見付けられなかったんだ」

辺りも暗くなってきたし念のため警察に届けようって言ったら、そんな大袈裟な!なんて言うから説得していたんだけど……。その時は、つい、冷たい子なのかな?って思ってしまったんだ。だって、手分けして探そうって言った時も――彼女は同じような事を言っていたから。

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一方的に知っているだけで初対面の人に犬探しなんてさせられないし、悪いからって断ったのに。この人、随分心配性みたい。オマケに怪しい人間じゃないから、って。……普通、こういう状況で自分の事を怪しい人間ですって言う人は居ないと思う。心細い思いをするだろうから手分けして探そうだなんて言うし。そんなに心配しなくてもその内戻ってくるだろうから平気だって言ったんだけど、凄く悲しそうな顔をするから……じゃあ、お願いしますって。つい、頼んでしまった。

「ヤマトくーん!」

公園の中を探している間中、海の方からあの人の声が聞こえてた。初対面だっていうのに凄く心配してくれて、探すのまで手伝ってくれるなんて。良い人って、こういう人の事を言うんだろうな。どう見たって私の方が年下なのに、物腰が柔らかで、言葉遣いも丁寧。オマケに親切で、ヤマトの事を君付けで呼んで……ああ、犬好きなのかもしれないな。色んな事を考えながら探している内に、辺りはどんどん暗くなっていった。もういい加減うちに帰らないと……もしかしたら、ヤマトも戻っているかもしれないし。そんな事を考え始めた時、あの人がこっちに走って来るのが見えた。

「すみませんでした。もう遅いですし、一度家に帰ってみます」

私は極普通に言ったつもりだったんだけど、その人はまた悲しそうな顔をする。別にヤマトの事をどうでも良いとか思っている訳じゃないけど、そこまで心配する事も無いのに。そんな風に思ったのは、これまでも似たような事が何度かあったからだ。探すのを諦めて帰る途中に見付けたり、先に家へ帰っていたり……何にせよ、警察沙汰にするような状況になんてなった事は一度も無かったんだから。どうしてこの人、そんなにムキになるんだろう?ヤマトを見付けたのは、そう思った直後だった。

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「ヤマト!」

「えっ、ヤマト君?!」

いきなり大きな声を出した彼女に驚いて振り向くと、そこには誰も居なかった。ただ、こっちに向かって走ってくる犬が一匹見えただけで……犬?

「もう!一人でどっか行っちゃ駄目っていつも言ってるでしょ?」

「ええっと……もしかして、その犬がヤマト君?」

彼女の足元で嬉しそうに尻尾を振っている柴犬と、まるで弟を叱っているかのような彼女を見て……おれは唖然としてしまった。

「ええ、そうです。あ、ご迷惑かけてすみませんでした」

「っ……あははは」

お陰で助かりましたって言う彼女の声を遮って、一頻り笑った後。君の事を勘違いしていたよって謝ったら、キョトンとした目でおれを見詰めて……。

「え?私、謝るような事はしたと思いますけど、謝られるような事はされてませんよ?」

「うん。そうかもしれないけど、やっぱり謝っておきたいんだ」

不思議そうにしている君の顔を見ていたら、ふと思い出した。休日に犬を連れて散歩をしている女の子の事を。その子はいつも楽しそうに公園を歩いていて、偶に歌を口ずさんでいた。たくさんの音が響いているこの公園で、たった一つの音に合わせて。どれだけたくさんの人が練習していても、他の音には引き摺られないで。初めてそれに気付いたのは、いつの事だったかな?高校に入って、オケ部に入部して――――そうだ。夏休みに入る少し前に、先輩達が人前での練習に良い場所があるって言って教えてくれた時……。

「あの、じゃあ私はこれで。本当にありがとうございました」

「あ、うん。引き止めてしまってごめんね――っと、そうだ。おれは王崎信武。この近くにある、星奏学院って高校に通ってるんだけど……」

何だかこのまま君と別れてしまうのが勿体無いような気がして慌てて自己紹介をすると、君も同じくらい慌てて答えてくれたね。

「あっ。私、っていいます」

さん……うん、覚えた。宜しくね」

ここへはヴァイオリンの練習に来る事が多いんだ。興味があったら聞きに来てみて。勿論、ヤマト君も一緒にね。そう言ったのは、彼女が音楽を好きなんじゃないかって思ったから。

「はい。じゃあ、また。さよなら、王崎さん」

「うん、さようなら。気を付けて帰るんだよ」

君がおれのヴァイオリンを聞きに来てくれたのは次の週末で、君がおれの後輩になったのは、おれが高校を卒業した次の年だった。

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初めて見かけた時は、お互いの音が気になった。

初めて話した時は、お互いの行動が気になった。

「こんにちはー。いよいよ最終セレクションですね。ちょっと残念……」

それから何度も、ヤマト君を連れた彼女と会った。おれが練習しているのを見ながら微笑む彼女はとても楽しそうで、練習が終わった後は少しずつ色んな話をして。ピアノを弾くと聞いてからは、何度か一緒に弾いてみたりもしたっけ。

「やあ、さん。今日も楽しんで行ってね」

おれも君も、あれから少しずつ成長して。自分の進む道を選択した頃には、少しだけ残念な気持ちになった。それが叶わない願いだって事は充分判っていたんだけど……。もう少し高校生でいられたら、彼女と一緒に高校生活を送れたのにって。

「はい。王崎さんも楽しんできて下さいね?観客席で堪能させてもらいますから」

最終セレクションが終わって、おれはステージの上で歓声に包まれた。関係者席に座っている嬉しそうな彼女の笑顔を目にしながら。そしてまた、季節は巡る。新しい風が、新しい音を運んで来るんだ。





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(壁紙:NEO HIMEISM/雪姫さま)

王崎のコンクール出場決定直後くらいの話。
コンクール期間中に懐いた主人公との関係は、先輩後輩ではあるがそれだけではなく、友情とも愛情とも呼べないものが在る。
と言ったところですかね。





橘朋美







FileNo.102 2009/5/13 ※2010/10/12修正加筆