「あまり危険な事を頼みたくはないのですが」
「最小限の被害で勝つ為には必要な事だからね」
戦は、敵の策略を見抜かなければ勝てない。それを見抜く為には、事前の調査や間者の情報が不可欠。もしそれを怠れば、戦う前から負けているようなもの。事前の情報を元に敵陣を探れば、勝機は上がる。陣形を確かめ、策を見抜き、罠を見破り、それを逆手に取れるのだから。ただそれは、目と勘、耳と鼻の利く間者や斥候が居ればの話。
「こっちの隊は…って。、お前まだ支度してなかったのかよ」
細身の匕首を玩びながら地図を確かめて怪しげな箇所を頭に叩き込み、いざ陣を出ようとした時に呼び止められた。
「これで良いんだよ、私は」
鎧も着けず、陣羽織すら羽織らず、太刀も持たずにそう告げる。音を立てる物、邪魔になる物、目立つ物は全て置いて行く。
「単独…か。御苦労な事だ」
大して気にする様子も無く、ぼそりと呟いて陣を出て行く知盛は別の部隊を率いる将として。重衡は、この戦の指揮を執る全軍の将として。
「無事にお戻りを」
勝つ為に必要な情報を待っている。私達は、ここで負ける訳にはいかないのだから。
「単独って…ちょっと待てよ?!せめて…」
「斥候は最小限の人数で充分」
今は説明している時間が惜しいとばかりに背を向けて、将臣を宥めている重衡に一抹の同情を感じながら陣を出た。後で妙な事になるなんて、微塵も思わずに。
「ふぅん、これは――」
敵陣には然したる罠も無く、策も奇抜なものではなかった。戦に勝ち、帰路を辿る直前に余計な一言が出るまで。これでまた、幾許かの平穏な時を過ごせると思っていた。
◆◇◆◇◆
戦場を後にし、帰路を急ぐといっても行軍は遅い。それは、戦があれば勝とうと負けようと同じ事。兵達の満足気な表情が無ければ、勝敗の区別も付かないだろう。軍議では捕虜の扱いと今後の動向が決められた。勝ち戦とはいえ負傷者や死亡者、捕虜に取られた者もある。残党の気配が無ければ完全に陽が昇るまで留まる事になり、辺りの様子を窺って戻った時。――それは始まった。
「、後継を持つつもりはありませんか?」
「跡継ぎが必要なのは君達でしょう?」
父上が生きていた頃、縁談を持ち込まれた事は何度かあった。けど、今は特に戦力が必要な時だ。着飾られて奥座敷に鎮座している暇なんて無い。そう思って迂闊に返事をしたのが間違いだったのか。
「ック……ははは、確かに。世継ぎを儲ける方が早いだろうな」
「バーカ。単に弟子を育てろってだけの話だろうか」
世継ぎを儲けるのなら是非私をと、微笑みながら手を取る重衡に考えておくと返し、より強い子を求めるのなら相手が俺でも構うまい?と、挑発するような眼差しを向ける知盛には気が向いたらと答える。
「ちょっと待て!なんでそんな話になってんだよ?」
「将臣、一々本気にするだけ無駄だよ」
いつもの言葉遊びでしかない遣り取りを聞いて焦っている将臣に一言返すと、銀糸を風に靡かせて微笑う二人。こんなふざけた遣り取りで時間を過ごせるのは、勝ち戦の後だからこそ。ただ――後継というのは考えてもみなかった事で、少し気になった。
「弟子か……育てるのは難しいだろうね」
「斥候部隊から出来の良い奴を連れてくりゃ良いじゃないか」
出来の良し悪しが問題なんじゃない。問題なのは、教える側である私自身なんだから。斥候時、全てに於いて必要になるのは異変を察知する鋭い感覚。それを養う方法を、私は人に教えた事が無い。それどころか、どう教えて良いのかすら判らない。
「どこの者でも構いません。の目に適う者は居ないのですか?」
「居たとしても、膨大な時間が要る」
どこの者でも構わない。――そう聞いて浮かんだ人間は二人。味方に引き入れれば、どちらも良い戦力になるだろう男達。年の割に長けた能力を持つ、熊野の後継者たる男。闇守とは違う、得体の知れない力を使う男。
「フン。今の平家に、そんな暇があるとでも?」
「無いね。私が孕んでいる時間以上に」
この話はお終いだと言わんばかりに大袈裟に肩を竦め、厭きれたような表情を浮かべて首を傾げる。質問を勘違いして迂闊な返事をした事よりも、単に期間の基準として選んだ言葉が拙かったんだろうか。
「孕むって――、お前もしかして…」
「……過保護なことだ」
何にせよ、ふざけたような浮かれたような雰囲気の中。将臣にこの兄弟と同等に渡り合えというのは無理なんだろう。当然、この数年で変わってしまった私の事を理解しろというのも。離れていた時間の長さと、変わってしまった自分を自覚する瞬間だ。
「妊娠した事は無いよ。勿論、これから当分の間は予定も無い」
「ふふっ。相変わらず、つれない事を仰るのですね」
単語にすらならない一音を繰り返す将臣と、嘲笑うような顔の知盛。本気なのか冗談なのか、判断出来ない言葉を紡ぐ重衡。元の世界に居た頃とは何もかもが違うこの状況。まだ慣れていないだけだと思っていたのが間違いだったのかもしれない。
◆◇◆◇◆
疲れた身体にあたる、温くて緩い風。現代ほどではないにしても、真夏ともなればこの時代でもそれなりに暑さを感じるようになる。真夜中になっても鳴き続ける五月蝿い蝉といつまでも終わらない男共の会話は、どちらがより煩いんだろう。
「ですが、だからこそ見破れる事も多いのですよ」
「他の者ならば……見逃す些事でも、な」
「へえ?そりゃ重宝される訳だ」
大きな木に片膝を立てて凭れ、腕を組んで目を閉じる。浅い眠りに身を任せるのを邪魔していたのは、主に不機嫌な声。もう陽が昇るまで五〜六時間。明日は丸一日の行軍が待っているのだから、さっさと眠れば良いのに。そんな事を思いながらも、耳だけは敏感で。
「気に入らぬ……と?」
「当たり前だろ?!」
「将臣殿、落ち着いて下さい」
重衡の言う事は尤もな事ばかりだ。戦に勝とうと思うのならば、個人の感情は優先するべきじゃない。何が必要で何が不要かを見誤れば、それは敗因となる。知盛の言う事も、間違いじゃない。平家に居る事も、将を務めている事も、結果的には私が自分で望んだ事。
「ならば、輿入れさせるんだな」
「正妻という名の人質と成りかねませんが……」
「んな事、させる訳ねぇだろ?!」
いずれは平重盛の娘として輿入れを。それは、きっと父上なりの優しさだったんだと思う。どうせ手駒として使われるのなら、より有効な手段でなければ意味が無い。一度はその可能性も考えたけれど、妻という名の間者になるより、一武将のまま動く方が余程役に立つと踏んだから。
◆◇◆◇◆
あいつを政略結婚させる?冗談じゃねぇ。それがこの世界じゃ普通の事だとしてもだ。なら、将として生きるしかないってのか?けど、本人がそれを望むなら。俺はそれを――?
「いつまでも下らない事で盛り上がっていないで、寝たら?」
「下らぬ事ではありませんよ」
幼馴染とのじゃれ合うような会話じゃない。お前は今、向こうでは口にしなかったような事を平気で口にする。それに違和感を感じるのは俺だけなのか?丸三年。先に成長したお前は、俺の知っているお前じゃないのか?
「、――お前、」
「何?」
隣に座りながら声を掛けても、お前は眉一つ動かさない。眠る時さえ武器を放さないまま、いつでも戦える体勢で。これが今のお前なのか?戦いになれば明らかに普通以上の働きをする名の通った平家の将が。
「いや。結婚したい奴とか居るのか?」
「は?」
こいつが平家に身を置く為、戦に出る為に変わった。変わるしかなかったんだとしたら、そうじゃなくなれば幸せに暮らせるんじゃないか。いつ死ぬか判らないような戦場で戦ってばかりの人生よりは、マシな人生を送れるんじゃないか。珍しく唖然とした顔になったお前を見ながら、そう思った。
「私達よりもずっと凄い人じゃなきゃ駄目なの!」
「はあ??」
俺は、さっきのお前よりも間の抜けた顔をしているんだろう。真横にある呆れたような顔が、少し笑っているように見えた。向こうに居た頃と同じように笑ってるみたいに。
「望美が言ったでしょう?五年前、海で」
「そういや一昨年……、悪い」
いつもなら笑い話になる筈の思い出も、食い違う年月に邪魔されちまう。過ぎちまった時間は取り戻せない。それは判ってる。俺がお前に追い付く事も出来ない。それを誤魔化そうとするのが馬鹿馬鹿しい事だってのも。
「今の私とは、どう接して良いか判らない?」
「違、っ」
真夜に抱かれて見たものは、暗闇に浮かび上がる暖かな色の花。
昔ほど似ていない顔
真夜に抱かれて聞こえたものは、無遠慮な蝉時雨。
少し低くなった声
真夜に抱かれて感じるものは、いつも隣にあった温もり。
懐かしい体温
「――昔と逆だな」
「それでも、私は私でしかない。将臣が将臣でしかないみたいに」
変わらない事もあるし、変わっちまった事もある。抱き締めようと抱き締められようと、どっちにしたって俺達は俺達でしかない。変わっちまった部分も、変わらない部分も。その全てがお前なら、俺は――。
「ああ、そうだな」
それを受け入れるしかないんだろう。

************************************************************
(壁紙:十五夜/ちゃちゃ様)
ここ3ヵ月、怪我やら入院やらで久し振りの更新。
毎年8/12には記念にフリー配布をという計画は3年目にして挫折してしまいましたが、今後とも宜しく御願い致します。
橘朋美
FileNo.110 2008/9/16 ※2010/10/9修正加筆 |