「こいつ等、よっぽど俺が気に喰わないらしいな」
「そうでもないよ。蹴りもしないし、気に入られてる」
「はいはい、そうかよ」
鹿毛の迅雷、青毛の疾風に髪を食まれたり鼻を摺り寄せられたり。その様子は、どう見ても馬に遊んで貰っているようにしか見えない。私がこの世界に来て馬に乗れるようになってから間もない頃、父上に貰った二頭の兄弟馬。俊敏な動きを誇る迅雷と並外れた持久力を誇る疾風は、気難しい気性で接する者を選ぶ。飼育に携わる人間ですら蹴ろうとする馬に跨ろうとして蹴られずにいられるんだから、気に入られているとしか言いようが無い。普段あまり乗る事は無いけれど、どちらも戦の時には頼りになる相棒。この賭けに将臣が勝てば、それを贈ろうと思う。将臣の戦馬として。
「疾風の方が良さそうだね」
「どっちでも良いさ。乗れるならな」
事の起こりは昨夜の事。いつもの如く、いつもの面子が揃っていた。
「二日酔いで唸ってるかと思ったけど、元気だね」
「当たり前だろ……っと?!おい、大人しくしろって」
葉月――八月十二日。今日は誕生日。生まれてからずっと……四年前までは、同じように年を重ねてきた。
「……そんな調子じゃ前途多難だね」
将臣にとっては十八回目の。
私にとっては二十一回目の。
何もかもが歪な双子の誕生日。
◆◇◆◇◆
涼みがてらに如何ですか?と、重衡が来たのは宵の口。雲一つ無く星に覆い尽くされた空に、少し欠けた月がくっきり浮かんでいた。
「足りないかな」
「ならば、こちらも開けましょう」
昼間はともかく、夜になっても茹だるような暑さが続く。そんな季節に、こんなに静かに過ごすようになって四年目になる
「お前等。ほんっと、よく飲むよな」
「クッ、何を今更」
正確に言えば、静かに過ごしていたのは去年までなのかもしれない。将臣がこの世界……平家に来てから、私の周りは賑やかになったのだから。
「何か収穫は?」
「いや、全くだ」
それでも、あの頃に比べれば静か過ぎる。ここには譲と望美が居ない。平家に留まるようになってから、将臣はずっと二人を探し続けている。まるで昔の私のようにして。
「……要るか?」
「何?」
手渡されたのは冷たい鉢。この季節、この世界では滅多に御目に掛かれない代物。どれ程身分が高かろうとも、それは当然の事。
「珍しいね」
「氷室を開けられたのですね。お二方とも、帝を案じておいでなのでしょう」
一ヶ月ほど前に蔓延し始めた疫病と、葉月になり帝が寝込んだ事実。祖父である二人は当然の如く様々な見舞いを寄越したけれど、実際には暑気中りだったという……。どんな御偉方でも、孫に関してはただの人らしい。
「素直に受け取ったと思ったら。お前が食うんじゃなかったのかよ」
「俺の物をどう扱おうと、俺の勝手。だろう?」
「将臣も食べる?」
「兄上はの為に賜ったのでしょう。以前も随分喜んでいましたからね」
確かに。この世界に来たて最初の夏には、暑さにやられそうだった。知盛と一緒に、景時や重衡に諌められていた事もあったくらいだ。父上も敦盛も清盛も……皆健在で、兄上との仲も表立った確執は無くて。
「ん?どうした」
今は亡き重盛、怨霊と化した敦盛と清盛。口を聞くどころか、顔を会わせる事すら無くなってしまった惟盛。鎌倉へと降った景時。高が四年の間に、色々な事があり過ぎた。そんな事を考えていた。
「どこか……涼みに行こうか」
だからだろう、そんな言葉しか出てこなかったのは。戦が始まる。あと数日の内に。その後は、坂道を転がる石のようにして衰退に拍車が掛かる。将臣もそれを知っているからこそ、そうなる前に二人を見付け出したいのだと思う。それでもいつか、私のように見切りを付けるのかもしれない。
「今直ぐにと仰るのでしたら、賛成致しかねますね」
「そこまで酔狂じゃないよ」
「怪しいものだ」
「言えてるぜ」
珍しく意見の一致した三人に苦笑いを向けて、すっかり汗を掻いた器を傾ける。何とはなしにゆらゆらと浮き沈みする氷を一つ口に含むと飲み込めるほど小さくはなく、かといって顎を動かせないほどには大きくはない。舐めるか噛み砕くか。どちらにしても小さくするしかないそれは、自分の抱えている不安と同じに思えた。
「……冷たい」
この世界で平家に関わっている以上、戦に出るのは必然。唯一将臣の出陣した大きな戦は圧倒的な勝ち戦で、中央に配された私達は太刀を振るう必要すら無かった。小競り合いでは人を斬る事も無く、その手を汚すことも無い。けれど、今度は違う。平家は破れる。義仲追討を命じられた後も……。どう足掻いても避けられない。太刀を振るい、人を斬り、その手を血に染めていく。悩み苦しむとしても、それだけなら良い。殺るか殺られるかの日常を生き抜いていけるのなら。ずっと考えていた。将臣を戦から遠ざけるには、どうすれば良いのかを。星の一族の元へ連れて行くか、闇守の里へ匿うか。そうする前に将臣は平家に拾われてしまった。
次の戦にも同行すると言う将臣。
気の無い返事をする知盛。
無茶をしないよう言い聞かせる重衡。
「次の戦――――将臣を、連れては行けない」
私は、ただぽつりと零していた。どれだけ飲んでも酔えないまま、話し合いは平行線を辿るだけ。太刀を扱えるようになっている。馬もそれなりに乗りこなせるようになっている。その為に訓練をしてきたんだし、それは確かだ。それでも将臣は……。人を殺す為に行動した事もなければ、実際に人を殺した事も無い。
「じゃあ明日……、試そう」
それを決めるのは、将臣自身であるべきだろう。
だから
どうすれば良いのか、判っているのに動けない。
けれど
覚悟を決める為の猶予は、もう残されていない。
ならば
腹を据えよう。どんな結末が待ち構えていようとも。
「試すって……どうやってだ?」
生き延びてくれれば良い。戦に勝とうが負けようが。無事に生きて戻ってくれれば、それで良い。将臣が勝てば、平家に戻って戦へ。殺るか殺られるか、死と隣り合わせの戦いが続くだろう場所へ。将臣が負ければ、そのまま闇守の里へ。他人の入れない領域、死の薫りに包まれる事無く過ごせる場所へ。勝ちたいのか、それとも勝って欲しいのか。私には、判らないんだ。
◆◇◆◇◆
「お帰り、将臣」
これから先、何が待ち受けているのか理解しているのに。その姿に何の変わりも無い事を見て取れた時、素直にそう言えたのは何故だろう。
「ああ、戻ったぜ?」
満足気な笑みを浮かべてそう言った将臣を見て、泣きたくなったのは何故だろう。それを考える余裕は無かった。
胸に抱くのは父上の遺志。
背に負うのは平家の未来。
それを貫き、守り通す為。生き抜く為に必要の無い事に、かかずらってなどいられない。この時は、心の底からそう思っていたんだ。

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(壁紙:薫風館/杜若さま)
これにて相生兄弟関連作終了です。
当分は本編を進められるようにしたいものです。
橘朋美
FileNo.107 2007/8/31 ※2010/10/9修正加筆 |