「ちゃーん!!」
偶の休みが明けたのは午前七時。目覚ましは幼馴染の叫び声……と言うよりは、悲鳴に近いものだった。一体何事だろうと思いながらパジャマのままで下へ降りて行くと、譲と言い合いをしていた望美が駆け寄ってきた。
「おはよう。朝っぱらから何事?」
「チョコレートだよ!」
「チョコ?」
望美の言わんとしている事が今一つ解らない。譲が望美のチョコを取り上げたんだろうか?将臣が望美のチョコを食べてしまった、という方が確率的には高いか。どちらにせよ余程悔しかったんだろうと思っていたら、原因は違ったみたいだ。
「バレンタインのチョコレートを作ろうよ。二人で!」
「はぁ?」
「先輩、チョコレートなら俺が作りますから…」
「譲君は男の子なんだから駄目!」
「ま、望美がそう言ってんだから諦めろって」
すっかり寛いでいる将臣の言葉には同感だけれど、なんでまた急にチョコを作るだなんて言い出したんだか。これまでバレンタインだからといって手作りチョコに拘る事もなかった望美が……珍しい。
「そんなに気にする事ないんじゃないですか?」
「だって!譲君に作って貰うばかりなんて言われたら、気になるよ」
「良いじゃねえか、言いたい奴には言わせておけよ」
それで市販品じゃなく手作りか。自尊心を刺激された望美としては、意地でも譲の手は借りられないって訳だ。誰が言ったのかは知らないけれど、やっかみ半分だろう事に気付いていないのは……ま、今更か。
「――、だから今年は絶対に私が作るの!」
高校に入学した頃から、望美を恋敵扱いする人間が増えた。本人が全く気付いていないのが救いか否かは――正直、微妙なところだ。高校生ともなると恋愛沙汰には敏感になるんだろうけど……。そういえば、クリスマス前にも似たような事があったっけ。
◆◇◆◇◆
『でね、クリスマスパーティーに呼んで欲しいっていう人が居るんだ』
『誰ですか?』
『隣のクラスの人達なんだけど、』
聞かされた名前に馴染みのあるものはなく、普段から接触する機会のない人間ばかりだった。
『知らない奴とパーティーなんて、面白くもないだろ?』
『私は遠慮する』
当然、断りの台詞が出るまでにはものの数秒。望美の人付き合いの良さは、こういう時に利用される事も多い。それほど仲が良い訳でもない人間の集まるパーティーに参加したいだなんて、何を目当てにしているのか見え見えだった。本人に直接言えば良いだろうに。
『俺達とは別口でやりゃ良いじゃねえか』
『そうですね、先輩には先輩の付き合いがあるんですから』
『じゃあイブはいつも通りで、その前後にでもしようかな』
それから二学期が終わり、冬休みになって。案の定、そのパーティーが開かれる事は無かった。終業式後に何人かがプレゼントを持って来ていたけれど、突っ返す現場を見た時は流石に居心地が悪かったな。
『もてる兄弟は辛いね?』
『お前『姉さんが言うな』よ』
◆◇◆◇◆
バレンタイン、か。……偶には変わった事をするのも良いかもしれない。そんな事を考えながら黙々と朝食を取っている間も、口論は終らないまま。着替え終えて部屋から戻った途端、同時に声が掛けられた。
「ね?ちゃん、お願い!」
「姉さんも何とか言ってくれよ」
「材料は揃ってるの?」
「うん、ちゃんと昨日買って来たんだ」
「姉さん?!」
「へえ?珍しいな」
「ま、偶にはね」
満面の笑みと驚きの表情に囲まれて差し出された袋を覗き込むと、その中は1s以上の製菓用チョコだけに占領されていた。兄弟揃って顔を見合わせたのは、当然の事。
「失敗用の保険か?」
「違うよ!もう、失礼だなあ」
「でも先輩、一体幾つ作るつもりなんですか?」
「五十個ぐらい?」
「……何を?」
「トリュフだよ。簡単に作れそうでしょう?」
唖然とする私達を見て小首を傾げる望美は、何も解っていないらしい。溜息を吐いている譲と苦笑いを浮かべる将臣はともかく、私にとって前途多難だという事だけは確定したようだった。
◆◇◆◇◆
取り敢えずキッチンにある物を調べると、トリュフが作れるような材料は揃っていた。例年通り、譲が準備していたんだろう。バニラビーンズまであるって事は他にも何か……多分、チョコプリンでも作るつもりだったんだ。
「んじゃ、俺はバイト行って来るわ。精々頑張れよ?」
「うん、将臣君が帰って来るまでには出来るから楽しみにしててね!」
「行ってらっしゃい」
「兄さん、夕飯はどうするんだ?」
要るに決まってんだろ。と言いながら出て行く将臣と一緒に望美に追い出される譲を見て、不憫な奴だと思ったのは内緒だ。二人切りになって早速作ろうかと材料を量り始めると、同じように望美がキッチンスケールを並べた。量っている物は……同じ製菓用チョコ。
「一緒に作るんじゃないの?」
「そうだよ。ちゃんの真似をして作れば、失敗しないでしょう?」
それはどうだか……とも思ったけれど、自分の手だけで作りたいという意気込みは半端なものじゃないらしい。チョコ、バター、生クリーム、リキュール……と、全ての材料を量り終えるまで懸命になっている望美を眺めていた。その頃合を見計らってレシピ通りにチョコを刻む。バターと一緒に湯煎にかけると、途端に甘い香りが部屋中に溢れて……それだけで幸せそうに微笑む望美。明るく、可愛く、何をするにも一生懸命で、およそ私とは違うタイプ。いつも幼馴染と居るのでなければ、声をかけたいと思っている男が大勢いるだろうに。
「で、これをスプーンで丸くして、冷やすんだよね?」
「そうだね。けど、絞り袋の方が楽だよ」
氷水に着けたボウルを覗き込みながら尋ねる望美に絞り袋を手渡すと、少し考え込むような表情をしていた。何かあったのか、聞きたい事でもあるのか……言えないような事なのか。
「少し硬くなってから袋に入れて、」
「うん。ねえ、ちゃん……ちょっと相談があるんだ」
「何?」
「あのね――」
言い難そうに、ぽつぽつと喋る望美なんて珍しい。初めて会った頃に戻ったような感覚で、少し懐かしい気分に浸りながらの相談事。それは、今の状況からすれば納得出来るものだった。けど……とても可愛らしい相談事とは言えなかったのも事実。
「じゃあ、これと……これで良いかな?」
「こっちのは――ちょっと難しいと思う」
「そうなの?うーん……じゃあ、これは?」
「ああ、小さくすれば大丈夫かな」
望美があれこれと探し物をしている内に、チョコを絞り出すのは私の役目になってしまった。まあ、でも……望美には悪いけど、その方が好都合かもしれない。あとは形を整えてコーティングすれば完成。一部を除けば、だけどね。
「もう一つは…………あ。ねえ、これはどうかな?」
「ん?ああ、丁度良いね」
「これも小さくするの?」
「いや、二つ分を柔らかくしてから丸める方が良さそう」
「丁度良いって、もしかして……」
「味と大きさ両方」
「うわあ……凄いね」
冷やし固める間にコーティング用のチョコを溶かし、ココナツとブラックココアをボウルに準備する。切り取られた果肉と丸められた物だけを、一足先にコーティング。それぞれにココナツとブラックココアを塗すと、見た目だけなら完璧なトリュフの出来上がり。
「う〜ん……凄く美味しそう!」
「見た目が不味そうだったら意味が無いからね」
「姉さん、ちょっと……」
遠慮がちなノックと共に顔を覗かせた譲は珍しく険しい表情で、どうしたのかと問い掛ける望美にも曖昧な返事を返して私に耳打ちした。
「解った。行ってくる」
「電話で断れば良いじゃないか」
「番号、知ってると思う?」
「どうしたの?ちゃん。譲君、何か……」
「直ぐ戻るから」
「姉さん、俺も一緒に……」
「望美が居るんだから留守番」
上着を羽織って玄関から出ると、庭先にまでチョコの香りが流れていた。少しずつ家から離れ、潮の香りが纏わり付く場所へ近付くにつれて見えて来た人影。私に用があって呼び出した人間の影が……鬱陶しかった。
『三年の高城っていう人が、どうしても姉さんに話があるって』
聞き覚えのある名前。
『駅裏の浜に居るから、来てくれるまで待つって言って……』
一方的な会話。
『随分親しそうな感じの喋り方だったけど、』
思い込み。
◆◇◆◇◆
大して忙しくもないバイトを終えた帰り道。ガキの頃から見てきた珍しくもない光景と見覚えのない顔だけなら、そのまま通り過ぎていたんだろう。だがそこに、見慣れた顔があれば――話は別だ。
「有川さ…」
「!珍しいな、出迎えか?」
「まさか。野暮用だよ」
「っと……悪ぃな、取り込み中だったか」
「ああ。出来れば遠慮し…」
「直ぐ終らせる。将臣、一緒に帰る?」
「ああ、良いぜ。けど、早くしろよ?」
どこのどいつだか知らねえが、イベントに乗じてって事は男であれ女であれ用件は一つだ。しかし、の機嫌の悪さときたら相当なもんだな。
「まだ来たばかりで、話をしてもいないじゃないか」
「あんたと話す事はないからね。二度と私に関わらないで欲しい」
「なっ…僕の事を嫌いじゃないと言っていたのは、嘘だったと?!」
「それは嫌いだと言える程知らなかっただけで、今は嫌いだと言える」
睨み付けるでもなく、大声を出すでもない。ただ、表情を殺し切った目と声で淡々と告げるだけ。取り付く島もなく、一刀両断ってのがピッタリだ。
「お待たせ、行こう」
「ああ。あんたも早く帰った方が良いぜ?」
男としては、呆然として口をパクつかせている奴が哀れな気もする。だが……。兄弟としちゃ、一昨日来やがれとでも言いてえところだ。ま、惚れた相手が悪かったと諦めるしかねえだろうな。
「で、どうなってんだ?」
「ん?」
「チョコを作ってるんじゃなかったのか?」
「ああ。冷やしてる途中だったから、丁度良い頃合だろうね」
「まだ作ってたのか?!」
「まぁね。お陰で出来は良いけど、昼ご飯抜き」
まるで何事も無かったみたいな、ありふれた会話。成長する毎にちょっかいを出す男は増えてきた。ま、元々近寄り難い雰囲気があるからか、兄弟揃って望美とつるんでる事が多いからか。どちらにせよ、言い寄る男は悉く玉砕ってのがパターンになってるな。
「ああ、特別なチョコも作ったよ」
「はあ?!特別って…」
「食べれば判るよ」
「何だそりゃ」
呆れ半分の言葉を吐きながらも、の答えにほっとしている自分に内心苦笑いが浮かんだ。こうべったりじゃ、シスコンだって噂されてもしょうがないかもしれないな……俺も譲も。ま、それは望美も似たようなもんか。どうしたって兄弟は兄弟でしかなく、それ以下になる事はない。当然、それ以上になる事もない。いつまでも一緒に居られる訳じゃないが、血の繋がりは消えやしない。どこに居ようと、いつになろうと。それだけは絶対だ。
◆◇◆◇◆
『いつもの事でしょう?』
そう言って出掛けた姉さん。確かに初めての事じゃないけれど、心配なのは変わらない。先輩も姉さんも、いつも恋愛沙汰には無頓着だ。俺の同級生にも思いを寄せている男が居る事を知らないんだろうか。
『ちゃんと断れるから大丈夫』
『けど、相手は男なんだから用心しないと』
『それ、望美に言ってあげた方が良いんじゃない?』
いつも上手くはぐらかされて、兄さんと姉さんは何をするにも一人で。それを見ながら追い掛けている俺は、いつまでも追い付けなくて。夢の中でも置いていかれるばかりで……どうしてこんなに違うのか。
『ねえ譲君。ちゃんも将臣君も、格好良いよね』
『え?そう、ですね。二人とも……俺とは違って、』
『譲君だって凄いと思うよ?』
俺も先輩も、昔から二人の事が好きで……憧れているのかもしれない。自分自身の道を迷う事無く歩いて行く、そんな兄弟達に。血が繋がっているからこそ誇らしくて、だからこそ情けなくて。いつか――二人を追わずに別の道を歩き始める頃には、俺もあんな風に堂々と歩いていけるんだろうか。
『あ、二人とも帰って来たみたい。噂をすれば、だね』
ただいま。と声を揃える兄さんと姉さんを見て、また少し…自分の感情がざわめいていた。見たくない。離れたくない。……少しだけでも、近付きたい。
◆◇◆◇◆
「お帰り!二人とも一緒だったんだね」
「「まあな」ね」
「姉さん、夕飯の支度もあるから早く終らせてくれよ?」
小さな粒を丸めて、コーティング。望美にはトッピングを任せて。ころころ転がって衣を纏うチョコの粒は、さっきまでの歪さなんてすっかり隠し切ってしまう。まるで自分の生き様みたいだと、少しだけ思った。
「これで全部……、出来上がり!」
「だね」
小さな袋にチョコを小分けしている望美を後に、私はリビングへ。勿論、二人分のトリュフを手にして。
「譲、キッチン使えるよ」
「腹減ったな」
「仕方ないだろ?直ぐに用意するよ」
「これでも摘む?」
「飯食ってからで良いって」
父さん達が帰る時間までにはまだ早く、望美も一緒に夕食を取る。トリュフを作っている時の様子を事細かに説明しながらも、特別なチョコの事だけは上手く省いて。……この器用さが料理に反映されれば、譲にも負けないほどの腕になれるだろうに。
「で、これが将臣君と譲君のチョコレートなんだよ」
「サンキュー」
「ありがとうございます」
早速口へと放り込まれた特別製。一瞬の内に顔色を変えた譲と、慌てて手の平に出した将臣。無理も無いけどね?
「?!……先輩、これって…」
「梅干じゃねえか!!」
「ビックリしたでしょ?」
「「当たり前だ!」ですよ!」
「山葵の方が良かった?」
「…「姉さん…勘弁してくれ」」
「ふふっ。もう一つはキャラメルだからね!」
ま、山葵と辛子じゃないだけマシなんじゃない?一応、ちゃんと食べられる物なんだから。でも……将臣も譲も、無用心にも程があると思う。疑いもせず望美の差し出したトリュフを頬張ると、何とも言えない表情に変わって行く二人。こうも見事に引っ掛かってくれるなんてね。でも、たまにはこんな休日も良い。賑やかで、楽しくて、平穏で……一部、平穏じゃないけど。たまには、ね?
「――確かに、キャラメル……みたいですけど」
「何の味だよっ?!」
「えーっと…」
「ジンギスカンだってさ」
◆◇◆◇◆
ちゃんが見せた箱には確かにその写真が載っていて、それを見ながら将臣君と譲君が大声を出したのにはびっくりしたなあ。
「どっち「どちらが言い出したんだ?!」ですか?!」
しかも、これからは絶対に譲君が見張りをするって怒られちゃった。ちょっとした悪戯だったのに……酷いよね?

************************************************************
(壁紙:Kigen/GraphicShop起源さま)
微修正後、再設置。下は配布時の後書きで、配布は終了しています。
バレンタインフリーSS。ですが…需要は無さそうな気がするな。
甘いのかと思わせてシリアスにもなり切れず、ギャグで落とす。
お気に召しましたら、貰って下さいませ。
2007・2・14 : 朔良宴 ・ 橘朋美
FileNo.104 2007/2/14 ※2010/10/8修正加筆 |