闇の雫



秋の夜長に月見酒なんて、この世界にも随分慣れたものだと思う。一人で酒を飲むなんて、現代では全く無かった事。あまり良い顔はされないだろうけど厨で肴を貰おうと思い付き、自室とは反対に向かって歩く。夜の闇は好きだけれど、この世界の夜は静か過ぎて長く感じる。戦の最中でもなければ特にやる事も無く、自然と酒を飲む機会が増えてしまった。

将臣が知れば、面白がって一緒に飲むだろう。

譲が知れば、目くじらを立てて正論を吐くだろう。

望美が知れば、心配しつつも試しにと口にするだろう。

けれど、ここには誰も居ない。

「……居なくて良い」

誰に言うでもなく零した言葉は私の望みであり、――諦めでもある。出来る限りの情報を集め、時間が出来れば馬を駆る。そんな日々を、もうどのくらい過ごしたのか。季節はあれから一巡りしてしまった。居ない方が良い。出来るなら、あのままの日常を繰り返していてくれれば。それでも…………探す事を止められない。あの時私は探すと言ったのだから。どこか遠くの村にでも居るのかもしれない。情報の伝達手段に乏しいこの世界では、人探しなど途方も無い事だ。諭され、教えられ、励まされ、慰められて今に至る。いくら考えても結論は同じ。居ないと判らない内は探す。

◆◇◆◇◆

暗い空を見上げると、雲間から今にも消えそうなほど細い月が見えていた。御簾越しに感じる気配はよく知る人達のもので、軽く息を吐き立ち止まる。

「今宵は酒宴と参りましょうか」

そちらを見遣れば、静かな微笑を湛えながらも逆らい難い雰囲気を醸し出す男。こんな時、彼の言葉をそのままの意味で受け取ってはいけない。この邸で暮らし始めて直ぐに判った事の一つだ。

「そうだね、こう暗くては出掛けられないし」

散々邸を抜け出していたのは、春から夏にかけて。近隣を粗方調べた今、一晩で探して戻れるような場所は無い。いつ戦場へ発っても……それが明日だとしても、おかしくはないのだから。

「ほう?戦場で名を馳せる、羅刹童子殿の言葉とは思えんな」

にやり、と嘲笑とも取れる笑みを浮かべるこの男。私を名前で呼ばない時は、何か面白がっている時。それも直ぐに判った事の一つ。ここの兄弟達は、癖の強い人間ばかりが揃っているように思える。

「お褒めに預かり恐悦至極」

いつの間にかこういう遣り取りにも慣れてしまって、ふざけた言葉遊びも悪くないと思う。一人酒の予定が小さな酒宴に成り変わり、増えた人と酒と肴で自室へ戻る。そこに待ち人が居て、そんな時間だったのかと思う私を余所に会話が始まった。

「ここにお前が居るとは。……逢瀬の邪魔、だったか?」

「このような刻限に出向くとは、に用向きでも?」

「いえ、私は――少々報告が御座いまして」

父上が私に付けた指南役。そして恐らく裏もあるだろう男。それなのに付き合い易い人間で、こんな場面に出くわすとは……と、少しばかり気の毒になる。とはいえ、彼がこの時間に来るという事は何の得にもならない報告の為だ。

「景時、放っといて良いよ。どうだった?」

二人に酒を渡して離れ、聞くのは弟達の事。

「うん…見掛けたっていう人さえ居なかったよ」

何度目なのか忘れてしまったほどの遣り取り。

「ありがとう。明日は?」

君が辛そうな表情になるのも、いつもの事。

「明け六つ時に来るよ。多分、明後日までには出立する事になる」

また、戦へ――出陣が迫っている。

「解った。お休み、気を付けて」

戦場となる場所に居なかった。それが分かっただけでも、今は充分だ。

「ああ。うん、お休み……」

◆◇◆◇◆

景時を見送って階で盃を傾ける二人に近寄れば、当然の如く盃を手渡される。月は薄い雲に覆われて、その光が闇に吸収されてしまったように心許無い夜。そんな中で狩衣姿の三人が酌み交わすだけ。

「風情の欠片も無いね」

酒を飲み干し誰に言うでもなく呟いた途端、しまったと思った。

「……お前も、言うようになったものだ」

君等に鍛えられたんだ。

「未成年、の言う事ではありませんね」

口は災いの元、か。

「『そんな事は、ここでは関係無い』でしょう?」

初めて酒を飲んだ時に言われた言葉をそのまま返す。

「まあ、な」

揶揄いの嘲笑ではなく涼しげな微笑が返される。

「度を越さなければ……ですが」

含みのある微笑ではなく柔らかな笑みも共に。

「…………静かだね」

元居た世界でのように騒ぐでもなく、夜遊びの楽しさに笑い合うでもなく。ただ静かに飲み続けるだけ。ここには弟達のように陽気な人間は居ない。居たとしても、私に近付く事は無い。平重盛の息子。平家の将を務める羅刹童子。戦場の申し子。それらに近付く人間、近付こうとする人間は敵味方に関係無く腐るほど居る。有川という人間に近付こうとする者が居ないだけ。実名を隠し通す事を選んだのは自分自身。私はあの時、それが最良だと判断したから。それを知る人間は、有川であった私を知らない。全てが私である筈なのに、全ての私を知る人間は居ない。此方に来てから姿を現さなくなったは、今の私を知るべくも無い。何かが欠けてしまったような気がして仕方がない。――いつも傍に在った筈の、何かが。

◆◇◆◇◆

「……何を、考えている?」

言える筈が無い。言ったところで意味は無い。

「ま、色々と」

飲み干した酒の量と、埒も無い考えは比例するばかり。

「私達では力になれませんか?」

寂しそうな表情でそう言う。微笑を浮かべていれば、言葉遊びに出来るのに。

「大丈夫」

自分自身の問題は、人に頼っても答えは出せないだろうから。

「お前の大丈夫、は……随分と長いな」

懐かしい記憶と重なる言葉。

「我慢が過ぎますよ?放っておけば、倒れるまで大丈夫と言っていそうです」

一年以上も前の事。二人の顔を交互に眺めて、唖然とする。

「何を驚いている」

何って――。

「酔いの所為では無さそうですね」

そうだけど。

「また、弟達の事か」

また?

「兄上、それ以上は……」

闇に覆われて、少しばかりの寒さを感じる秋の夜。月を隠す雲はゆるゆると靡くばかりで、晴れないのは私の思考と同じだった。

「フン。お前も、判っているのだろう?が浮かぬ顔をしている……と」

「それは……ですが、無理に聞く事もないでしょう?」

私が……浮かない顔、か。

「ここ最近――、以前より酷い顔をしているのに、か?あれから、もうどれだけの月日が経つと思っている」

「酷い顔?」

「気付いておられなかったのですね。時折苦しげで……先程は泣いてしまわれるのではないかと」

苦しい?私が――泣くほど?

「話せ。俺の気が変わらぬ内にな」

「私も、辛そうにしているあなたを見たくはありません」

辛い――のかな?私は。

「……判らないんだ。弟達がここに居なければ良いと思う。でも、どこかに居るかもしれない。探すと言った私を信じて待っているかもしれない。だから……諦められない。いつも自分の傍に居た筈の人間が、ここには一人も居ない」

そう…。私の周りには、いつも誰かが居たんだ。

「有川を知る人間は、羅刹童子を知らない。羅刹童子を知る人間は、有川を知らない。私は……」

今の私は、何かが足りないんだ。

「どちらも私の筈なのに、どちらも完全な私ではなくて……。私はきっと……生まれて初めて、独りになった」

見つめる盃に波紋が広がり、重衡の袖が頬を拭う。風に撫でられたそこだけが、やけに冷たく感じた。

「そのように哀しい事を考えていたのですか?あなたは独りではない。少なくとも私や兄上達、景時も……短い間とはいえ、あなたと過ごして来たのですから」

可愛らしいほどの微笑みを浮かべて優しい言葉を紡ぐ唇に眼を向けると、衣擦れの音と共に視界が塞がれた。

「俺達以外、誰も居ない。泣けよ。お前は、お前でしかない。羅刹童子でも、弟達を探す有川の姉でもない。ただの、女――。、そのまま泣け」

締め付けるように回された腕にしがみ付いて、涙が溢れた。声を殺し、息を詰まらせ、気が済むまで……。落ちた盃から零れた酒が床に染みを作るように、知盛の袖を濡らしていた。

◆◇◆◇◆

の部屋を訪ねると、そこから出て来る知盛殿と重衡殿に出くわした。挨拶をしようと階に近付くと、身の竦むような微笑で睨まれる。昨夜の事で機嫌を損ねたのだと思ったんだけど、それは違ったみたいだ。

「梶原か。は、まだ寝ている」

「?――それは…」

「暫く眠らせておいてくれますね?」

それを断れる筈も無く、陽が昇り切った頃に起きて来たに事情を聞くと――。

「今度からは起こして。勝手に入ってくれて構わないから」

そう言われて、今朝見た二つの微笑を思い出して、――オレは苦笑いを浮かべる。その時は、あのお二人が居ませんようにと願いながら。この願いが叶うかどうかは神様だけが知っているんだろうけど……オレってもしかして、凄く不利な状況に居るんじゃないかな?





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(壁紙:MILKCAT/koreさま)

実は銀髪兄弟誕生日短編に成り損ねた短編。
何せ本編があの調子なもんですから、せめて番外編にと打ち込んでみました。
今のところ「桜散る=将臣」「相生=景時」が、対銀髪兄弟ウェポンになってますねぇ。
或いは防波堤、若しくは相方とも言う。





橘朋美







FileNo.102 2006/9/30 ※2010/10/7修正加筆