人目に付かない辺鄙な里近くの山奥。里の人間でさえ滅多な事じゃ山に入ろうとしない鬱蒼とした森の中。いくら平泉に居るからって、こんな所で泰衡と遇うなんてね。
「そうだ、写影は見られた?」
「しゃえい?……あの鱗から出た幻の事か」
よくよく聞けば、大きな白蛇が届け物だと言って置いてった。って、なんで人型で行かなかったんだろう?しかも、説明すらしてなかったなんて。でもまあ、泰衡が見られたって言うなら問題は無いか。
「だが、平泉を出るなとはどういう意味だ」
「そのままだよ。泰衡は平泉を守るんでしょう?」
「何を今更。言うまでも無い事だ」
だけど、君は平泉を出た。鎌倉に逆らった私達を助ける為に。そして吉野で……源氏の軍勢に捕まった。九郎と一緒に連行されて――私はそれを壊したんだ。
「だからだよ。平泉を出れば、平泉を守れなくなるでしょう?」
「当たり前だ。だが…」
「それにしても、こんな辺鄙な所に一人で来るなんて珍しいね」
あまり突き詰められても居心地が悪いから話の腰を折ったんだけど、泰衡がここへ来た理由を知りたかったというのも嘘じゃなかった。遠乗りだって言っていたけど、本当に……そうだったんだろうか。
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「まったく。あなたは相変わらずのようだな」
「泰衡は……立派に成長したみたいだね」
河原に腰を下ろし、みる間に火を熾す。術の腕も、些か精細を欠いた表情も、あの頃ままに。濡れた衣では身体に障るだろうと思い、今は俺の肩よりも低い位置にあるの肩に外套を掛ければ、少し見上げるようにして微笑みながら言った。あの頃と逆転した姿勢に戸惑いを覚えたのは、何故なのか。
「送ろう。今はどこに……いや、道を教えてくれ」
「歩いて帰れるから大丈夫。ああ、これ返しておかないとね」
互いに何を話すでもなく弾ける火の粉を見る内に、陽はその高さを増していた。こうして遇ったのが今日でなければ、以前のように御所へ招いていただろう。だが今日は、是が非でも逃せぬ日。それをこの人に知られれば――。今止められる訳にはいかない。俺の望みを叶えるには、それが必要なのだから。
「では、俺はこれで失礼する。それはそのまま着ていけば良い」
「そう。じゃあ、落ち着いたら返しに行くよ」
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泰衡と別れて直ぐ、庵へ戻った私を待っていたのは朗報だった。連日私に付き合っている雷矢と風牙は疲れた顔、留守ばかりしている炎尾と霧鎖は不満気な顔だったけど。
「お嬢、天帝が手を貸してくれるそうだよ」
「あまり時間は無いだろうと言ってはいたがな」
「辰巳の刻にはまだある。僅かだが…寝ておいた方が良いだろう」
「あ?その外套どうしたんだ?」
えーっと……立て続けに喋られても返事が出来ないんですけど。取り敢えず泰衡に遇った事を話したら、みんな妙な顔をしていた。けど、私にも聞きたい事がたくさんあった。
「兄さんが手を貸してくれるって言っても、ここへは来られないんじゃなかった?」
「そうだよ。ここへは来られないけど、無限結界の中へならね」
「どうやって?」
「天帝が自ら赴く。だが、結界は長く保たないだろう」
兄さんなら、参眼の操り方を一番よく知っている筈。教えて貰ってコツさえ掴めれば、私も操れるようになるかもしれない。気が逸って結界へ入ろうとした私を真っ先に止めたのは、霧鎖だった。
「まだ一刻以上ある。横になるだけで良い…身体を休めておけ」
「なんで?!時間が惜しいのに!」
「辰巳の刻に合わせて来るからな。今結界に入っても、誰も居ないぜ?」
「だったら雷矢と風牙が付き合ってよ。少しでも良いから!」
教わる時間が長くないのなら、少しでも上達しておきたい。このまま……参眼を操れないまま先へ進めば、また失敗するんじゃないかって――不安ばかりが大きくなってる。
「駄目だよ、お嬢。もう俺達では……それに、少しでも疲れを取っておかないと」
「これ以上試しても疲れを増すだけだ。今は身体を休ませておけ」
「参眼を操ろうとする者が一処に揃うのだ…生半な力では無い」
「ぶっ倒れて修行を中断する羽目になるぜ?ちゃっちゃと寝ろよ」
結局、練習するより身体を休めろっていうのが守人達全員一致の見解。約束をした以上、私にはそれを拒む事は許されない。渋々風牙に凭れ掛かった時。空はまだ、青く澄み切っていた。
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そこに在ったのは、朽ち果てる寸前の社。この社に大黒天が祀られているとは到底思えぬが、里の者が余所者を拒むあの様、立ち入る事を禁忌とする深山を思えば。みずぼらしい社でさえ、荘厳さを醸し出しているようにも見える。社に近付くにつれ、天色の空が青黒に染まりゆく。剣と宝珠を手に白狐に跨り、人の肝を喰らうという三面二臂の邪神。大黒天の力こそが彼の神を打ち伏せる力を持つというならば、その力をこの手に。社の戸に手を伸ばした刹那、意識が遠退いた。
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「久し振り、兄さん!……と、ええっと?」
「御久しゅう御座います、天姫様」
結界で待っていたのは兄さんだけじゃなく、随分大きくなった氷月ちゃんも一緒だった。どうして彼女まで来たのかと思いながら近付こうとすると、それは守人達に止められた。久し振りの再会だっていうのに、なんで邪魔するんだか。
「久しいな、。暫しそこを動くでないぞ」
「えっ?なんで……っ?!」
理由の解らないまま何かに吹っ飛ばされて、身動きが取れないままみんなの姿を見ている……んだと思うけど。みんなが上を向いてるって事は……私、空中で磔にされてる?蠢く兄さんの髪が見えた途端、胸がざわめいた。違う。胸じゃない。参眼が酷く疼く。知ってる。判る。兄さんの参眼が――開かれようとしてるんだって。
「―――――」
『ねぇ兄さん、何を言ってるのか……判らない。聞こえないよ』
下で兄さん達が何か言っているのは解るのに、声が聞こえない。あの時見た夢と、よく似てる。違うのは、私が下に居ないって事だけ。自分の意思とは無関係に神力が集まっていく。私に何をさせたいのか、判っているのに出来ない。そう声を出そうとしているのに、口から出るのは掠れた息だけ。
「―――!!」
『氷月ちゃん、何で……泣いてるの?』
兄さんの足元で祈るようにして蹲っている氷月ちゃんを見ながら、焼けた刃で斬られるような痛みを堪えているだけ。自分の参眼が開かれる、その瞬間を待って。これまでみたいな失敗じゃないけど、自分自身の意思で開いた訳でもない。感じたのは――燃えるような身体の熱さと、それとは正反対の凍えるような精神の冷たさ。
「、そなたはやはり……人なのだな」
「天姫様っ!!」
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そこに在るのは、その名が示すままの黒。何が起きたのか判らぬjまま身を起こせば、己の足元すら見えぬどこまでも続いているのではないかと思える闇の中。歩を進める事も出来ずに立ち尽くし、一破片の光すらないのかと目を凝らした。
ここは一体?あの社の中とも思えぬが。
『ここは暗黒。人よ、我が闇に何用だ』
何処からともなく響く、重々しい声の主が大黒天なのか。それを問おうと開き掛けた口は、言の葉を紡ぐ事無く塞がれた。黒き闇の中、蠢く者によって。
『我が力を欲するか。だが人よ、それには代償が必要だ』
代償だと?何を……。
姿は目に見えぬというのに、黒い肌に鎧を纏った一面三目四臂の男が目の前に居るのが判る。これが、神の為す所業というものなのか。思考は声として漏れる事も無く、目の前の男に伝わっているというのか?荼吉尼天を倒し、平泉の無事を確信した時ならば代償など幾ら払おうとも構わぬが……。
『ならば授けよう。大いなる黒き神、摩訶迦羅の真言を。神の力を行使する時。その命、尽き得る事も覚悟せよ』
それに答えたのは、幾許かの後。だが、俺の選ぶべき道……選べる道など、元より一つしか無かった。
ナウマクサンマンダ ボダナン マカカロヤ ソワカ
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「参眼を意のままにするのなら、感情は不要。だが、それは人には酷な事なのだろう」
私が人間だから、参眼を操れない?氷月ちゃんに手当てされながら、淡々と続ける兄さんを見上げていた。地面に叩き付けられた身体は、痛みも感じないのに動けなくて。
「そなたは人。たとえ神力を操ろうとも、参眼を御し切れぬ――人なのだ」
「そんな事ない。だって私は……もう人間じゃ、ない。神力だって操れるようになった。だから参眼も!――操れるようになってみせる。絶対に……だから兄さん、お願い…」
「天姫様……」
何か、何でも良いから!参眼を操る方法を教えてよ。二度と、みんなを死なせないように……私の大事な人達を護る為に。起き上がれないまま、そう口にした時。枯れていた筈の涙が――零れた。
「天姫様、どうか…もう御喋りにならないで……っ」
「、それほどまでに――否、我がそなたを苦しめる元凶か。なれば授けよう。我が真言を。たとえそれが更なる苦痛を齎そうとも」
「このまま……何も出来ないまま生きている方がよっぽど苦痛だよ」
懐かしい感覚。頭の中に直接聞こえてくる声は、昔みたいに不安を煽るようなものじゃなかった。兄さんが苦しむ必要なんて無い。私は今、自分の意思であの子達を死なせたくない。護りたいと思ってるんだから。なのに……。
「真言と共に神力を解放し、参眼を御するが良い」
ナウマクサンマンダ ボタナン オン シャキャラヤ ソワカ
低く響いたその声も、私を見ていたその目も、自分とよく似たその顔も、ずっと昔に見た辛そうなものと同じで。私は謝る事しか出来なかったんだ。
「気にするでない。。我が妹よ、そなたを苦しめているのは他でもない。我なのだ。我の出来うる限りの事をすると約したのも、また我だ」
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暫くして、私は兄さんの前に立つように言われた。守人達と氷月ちゃんは苦しそうな顔をしてて、兄さんは無表情。意識を集中すると、兄さんの神力に釣られるのが判る。何も無い結界の中にビリビリと震える空気が広がって、熱さを感じた時。また参眼が疼いた。煽られるようにして高まる神力と、真似るようにして冷える感情と、開く参眼。今だと思ったその時。解放しようとした神力は、兄さんに止められた。
「今は神力を解放してはならぬ。我が去りて後、再び試すが良い。守人よ。主等の真言、に授ける事を許そう。己が主、しかと護り抜け」
「天姫様。どうぞ、……どうぞ御無事で。事を収めれば、また天界へお戻り下さいませね?邸の者達と共に、いつまでもお待ちしておりますから」
神力の大きさに結界が耐えられなくなる前に、って兄さん達が帰った後。真言を唱えてみると、嘘みたいに巧く参眼を操れた。まあ、その後の疲労感や脱力感が大きいってのが難点なんだけど。それでも、神力を集めて真言を唱えれば参眼が開く。無意識に使っていた時とは違って、私の思うように操れる。私の使える力を、全部使う事が出来るようになったんだ。
「お言付け、確かに承りました」
「真昼なのに随分暗いね。嵐でも来てるのかな?」
熱で臥せっているという泰衡に会えなかったのは残念だったけど……春、せめて桜が咲く頃までには京へ戻っていないと拙い。警護の人間に外套と伝言を預けて庵へ急ぐ。
「よし、じゃあ行こうか」
平泉を出たのは、泰衡と会った次の日。まだ薄暗い、明けの使者が来たばかりの頃だった。新しい手段を得たのは私だけじゃなかったなんて知らないまま、京を目指す。碌に話す時間も無かったけど久し振りに泰衡と会えたし、兄さんと氷月ちゃんにまで会えて嬉しかった。平泉で得たものは多かったと思う。参眼を操る方法。幾つもの神の真言。譬えそれが私の枷になるとしても、構わなかった。皆の無事を見届けられれば、後の事はどうとでもなると思っていたから。

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(壁紙:薫風館/杜若様)
摩訶迦羅=マハーカーラ
大黒天の名称の元となった梵語。(マハー=大いなる・カーラ=黒いor青黒い)
桜散る章間番外編、これにて終了。思っていたよりも長くなってしまった。
橘朋美
FileNo.109_02 2008/3/29 ※2010/10/5修正加筆 |