「還内府殿〜」
ある秋の昼下がり。京は六波羅、平参議の邸にて。とてとてと可愛らしい足取りで渡殿を行く幼子と、老女がおりました。
「御休みになられているようですね。御疲れなのですよ。無理もない事です。……後ほどに致しましょう」
「せっかくの土産を一刻も早く渡したいというのに」
至極残念そうに呟く幼子の手には、その小さな掌を散りばめたかのような一枝の紅葉が握られておりました。土産と言うからには、紅葉狩りにでも出掛けていたのでしょう。可愛らしい声で大仰な言葉を操りながら目の前に掲げた枝をゆらゆらと靡かせるその様は、年相応のものでした。
「では、こうされては…………如何です?」
「そうか!それならば、逸早く目にする事が出来るであろうな」
これで良かろう!と、満足気な笑みを浮かべて去って行く幼子と、柔らかな微笑でそれを見つめながら歩く老女。このまま誰にも見られずに済めば良かったのですが、そこはそれ。彼はこの邸でも五本の指に入るほどの色男……もとい、女性達の憧れの的である人物。暇を持て余した女性達が見掛ければ、それを放っておく筈などないのです。
「あら?まあ、御覧下さいな」
「まあ……これは。――では、私も一枝」
「でしたら、私も差し上げようかしら?」
次々と現れる女性達の手から、色鮮やかな枝が……といった具合になってしまうのでした。
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半刻も過ぎた頃には、腰元まで紅葉に覆われた男が一人。この先に受難が待ち受けているとも知らず、すやすやと心地良い眠りの中におったとさ。等と言って終ってしまっては何の意味もありませんし、それ程人の少ない邸ではありません。次にやって来たのは、彼と位置を同じくする女性達の憧れの的。くすり、と楽しそうに微笑むとその横に腰を下ろし、その手に抱えた紅葉を眺め……ぷつりぷつりと葉を毟り始めたのです。
「女の子だったら御伽噺のお姫様になれたのにねぇ?」
そう言って軽く彼の頭上に掲げた手を下ろし、その場を去って行きました。”王子様のキスで目覚めたら凄いよね〜”と、呟きながら。そのまた次に彼の許を訪れたのは、彼等と同じく五本の指に入る人物。
「おや、これはまた。風流……と、言えなくもありませんが」
苦笑いを漏らしながら落ちた葉を拾い上げると、何やら思い付いた様子でちまちまと指を動かし始めたのです。一頻り指先を動かした後で満足気に微笑むその姿と、去り際にくすくす。思わずといった風に零れた小さな笑い声は、可愛らしい悪戯っ子のそれのようでした。
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秋の陽は釣瓶落とし――その日最後に彼を見掛けたのは、またもや五本の指に数え上げられる人物。頭から腰までを衣と紅葉で覆われた彼を目にした途端に踵を返し、暫しの後に現れた彼の手には……何かが握られておりました。
「これで……良かろう」
彼がついっと指を走らせ、くつくつと咽喉の奥を鳴らすようにして笑いながらその場を後にしようと立ち上がった時です。背後に人の気配を感じて振り返ると、そこには彼のよく知る二人の姿がありました。
「もう起きてしまわれたのですか?」
「いや、まだ……眠っている」
その言葉が合図だったようにして眠る彼の前を退くと、堪えきれずに肩を揺すり始めた三人。小刻みに震える肩をそのままに、もう一人が声を上げます。
「あははっ、真っ赤だね〜」
「んぁ?!…――なんだ、お前等か。何かあったのか?」
笑い声に飛び起きた彼の目に入ったのは、名の知れた武将達。何事なのかという一瞬の焦りは、その内の二人が持つ酒瓶を見た途端、安堵の念に早変わりしたのです。
「なんだ。また酒か?」
「ククッ……良い肴もある事だしな」
「ふふっ。秋の夜長に月と紅葉を愛でながら、というのも良いですね」
「紅葉の掛け布は寝心地良かった?」
「はあ?……って、なんだよこれ?!」
慌てて見れば、腕から腰まで紅葉塗れ。楽しそうに笑う三人に説明を求める彼は、幸か不幸かまだ全てを知っている訳ではないのです。
「紅葉狩りのお土産。殆どの女房達が置いてったんじゃない?」
「ああ…そういや、何か誘われてたな」
「ええ。私達もお誘い頂いたのですが、遠慮したのですよ」
「女共と出掛けるなど、煩わしいだけだからな」
「それで私に白羽の矢が……って訳か」
五本の指の内、四本に値する人物が揃っての酒盛りは、こうして始まりました。ですが、一献飲み干した彼の表情が奇妙なものに変わると……。他の三人からは忍び笑いが洩れ出したのです。
「ん?…おい――これ」
そのまま袖で唇を拭おうとする彼の腕よりも早く、つつっ…とそれをなぞった人差し指の持ち主がしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべて指を向けると、その指先は紅に染まり、酒に濡れて月明かりに煌めいておりました。
「中々に艶やかな姿ですよ?」
「身を赤く染めた気分は、どうだ?」
「はあ?!」
「よく眠ってたからね〜」
全身という言葉に反応して頭に手をやれば、髪で結ばれた葉に触れ……それをバサバサと払ってみると、あ〜あ……と言う声と同時に幾つもの繋がれた紅葉がぱさりと足元に落ちたのです。唇を拭えばくつくつと肩を揺する姿と共に袖に付いた紅が視界に入り、漸く彼は全てを悟りました。
「お前等なあ?!」
「結構似合ってたよ」
「あのなあ……こういうもんはお前の方がよっぽど似合うだろうが」
「そう?」
短く答えた後に紅の付いた指先で唇をなぞる彼女を見遣れば、上目遣いで楽しそうに見詰められた刹那に一言。
「紅、少し足りないね」
それを聞くと同時に酒瓶を煽った彼が顔まで赤く染めてしまった事は、言うまでも無いのでした。そしてそこには――。幾分か酒の入った顔とは思えぬような形相をした人物が二人。何やら不穏な気配を漂わせ、ただ無言で居たなどとは知らぬままで……。京は六波羅、平参議の邸にて。彼の受難は、再び繰り返されるのやもしれません。

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(壁紙:薫風館/杜若さま)
元は頂き物の将臣から思い付いたこの話。
宝物殿にあったものを少しばかり修正して、番外編へ移動しました。
橘朋美
FileNo.104 2006/10/4 ※2010/10/4修正加筆
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