「あの者達も……守るべき、平泉の民だ」

「そうだね」

そう言った時。誇らしげな表情と一緒に浮かんだのは、どこか寂しげな微笑だった。けれどその一言の表す意味はとても大きくて解り辛いから、それが少し悲しかった。



新緑の想い


京から平泉に来て小次郎に会ってから、もう随分になる。毎日じゃないけど、時間のある時はいつも術の訓練に付き合ってきた。その度に、少しずつ力を付けてきたのがよく判る。呪を唱え、印を組み、結界を張る。それはもう、以前とは比べ物にならないくらいの強さで。

「失礼する。、時間はあるだろうか」

「あるよ。けど、今日は秀衡殿と出掛けるんじゃなかった?」

昨日、そう言ってた。明日は父上と出掛けるので、ここへは来られない。そう言った時の小次郎は、いつもより少し機嫌が良かった。小次郎の年を考えれば、それも当然なのかもしれない。この土地を束ねる当主とその息子。ましてこの時代じゃそうそう一緒に遊べる機会なんて無いんだから。

「客人が着いたのだ」

「そう」

仕方ない。それはどうしようもない事なんだから。この世界には、公共交通機関も無ければ携帯電話も無い。どうしたって予定は狂うものなんだけど……ね。落ち込んでいるようには見えない。けど、元々表情に出す子じゃないから。慰めようとすれば反論されるだけだろうし、そうするのは違う気もする。

「今日は宴の準備で騒がしくなる。外では…」

「それじゃ、どこかへ出ようか」

「……?局から出なければ、人目は避けられるだろう」

「偶には身体を動かさないと鈍るからね」

「判った。では、馬を用意させる」

新緑の季節とはいっても、この辺りでは朝はまだ寒いくらいの気温。馬上で感じる風は、少しだけ雨の薫りを運んでいた。

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父上を誇りに思っている。平泉を束ね、守り、驕る事無く歩む。それは、全て平泉に在る民の為。この地を豊かにすれば、ここに住む者達も豊かになる。だが、その富を狙う者も出てくる。それを避ける為に、諸国の要人を蔑ろにする事は出来ない。

「小次郎様、失礼致します。御館より言伝が」

側仕えの者が来たのは、朝餉の前だった。父上が、久し振りに馬を駆るのも良かろうと言っていたのは一昨昨日の事。客人の到着は、今日の暮れの口だった筈。だからといって、どうしようもない事だ。それは必要な事なのだから。俺はただ、そうかとだけ答えた。

「さて、と…どこに行こうか?」

馬上には父上ではなく俺の師といえる人が跨り、共に御所を出たのはつい先程の事。元々人目に付くのを嫌うその人が何故このように目立つ行動をするのか、俺には理解出来なかった。術に関しての話ならばともかく、己の事は殆ど話さない不思議な女性。共に過ごせば過ごすほど、その謎は深まるばかりだ。

「里野を抜ければ、人目に付かない場所がある」

案内して。という言葉と共に寄越された笑みは、俺を誉める時のものとは違う。厳しさを含まない、女性特有の柔らかな表情とでも言うのだろう。手練れの男共を打ちのめし、冷酷なまでの言の葉を紡ぐ。強力な呪術を使い、その力の差を思い知らせる。それがこの人だと言ったところで、誰も信じないだろう光景だった。

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田圃や畑を眺めながらのんびりと進むのは、小次郎の気にかかったらしい。予定も立てずに気の向くままに市を抜けて、里野を目指す。態々外に出なくとも。とか、急がなければ日が暮れてしまう。とか、修行をするのではないのか?とか、時々呟かれる質問の全部に同じような返事を返してた。偶には良いでしょう?って。里野を抜ける途中、小川で蹲ってる男の子を見付けるまでは暢気な散歩みたいなものでしかなかった。

「あれ?……小次郎、ここで待ってて」

、……何を?!」

大した高さじゃなくても、かなりの急勾配。小次郎が馬で駆け下りるのは無理だと思ったから、そのまま男の子の所まで一人で駆け付けたんだけどね。

「ひっ――!」

私は、自分の姿を忘れてた。小次郎もリズヴァーンもこの姿に脅えた事は一回も無かったし、人目に付かないように暮らして来たから。兄さんとそっくりなこの姿。私自身はとても綺麗だと思っていたけれど、この人界ではあまりに珍しい毛色は忌避される。

「……怪我をしているんじゃないのか?」

私の質問に返されたのは、短く息を飲む音と、恐ろしいモノを見る眼差しだけだった。

「鬼でも妖でもなければ、危害を加えるつもりもない」

穏やかな生活を送ってきたとは言えなくても子供を脅えさせるような事をしたのは初めてで、その子が声も出さずに泣いているのを呆然と眺めていた。

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待っていろという意味が解ったのは、が崖を駆け下りてからだった。この崖を馬で駆けようとする者が居るのなら、それは愚か者としか言えないだろう。だから、河原に降り立ったの姿が信じられなかった。名馬と呼べるほどの馬を繰る名手と詠われるほどの武将だとしても、恐らく迷う事無く駆けはしないだろう崖を……躊躇せず駆け下りるなど。

…。あなたは一体、何者なのだ」

来た道を幾らか戻り、緩やかな小道を辿って河原に着くまで。俺の脳裏に浮かぶのは、池に浮いた姿。術を放つ姿。太刀を振るう姿。教えを請えば与えられる、冷静な言の葉。人となりを知ろうとすれば、流すような返答。知らない事を知りたいと望むようになったのは、いつからだろうか。

「何をしている?」

男子の傍らに佇み、何をするでもなく見下ろすだけの。その表情は、これまで一度も見た事のないものだった。そしてまた、あなたを知らない自分を思い知る。全てを受け入れているような、全てを諦めているようなその目。この人が泣くのを堪えているのではないかと思ったのは、初めてだった。

「怪我をしているみたいだけど、私では恐いらしい」

そう言って、曖昧な笑みを浮かべた。俺に頼むと告げた後、離れた位置で馬を撫でる。その姿は悲愴なほどで……幾日過ぎようとも忘れる事が出来なくなった。何も知らず、聞いたところで答えは与えられず。いつか知る時が来るのか、知る事が出来るのか。その時は、ここに……俺の傍に居るのか。

「あれは俺の師だ。恐がらなくても良い」

埒も無い考えを余所に見据えた男子の顔は、まだ幼かった。俺よりも二つ三つは下だろう。小次郎様の?と問い掛ける顔に覚えは無く、よくよく聞けば郎党の一人の息子だという。父親からよく話を聞き、里野での訓練を眺めている時に俺を見たと。赤い目と鼻で、濡れた頬で嬉しそうに語るその姿が不思議だった。

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「ごめんなさい。泰衡様のお師匠さんだったら、悪い人じゃないよな」

申し訳無さそうにしながらそう言った男の子は岩場から落ちたらしく、足首を捻っていた。他にも手足に擦り傷が少し。

「お前はどこから来たのだ」

歩いて四半時ぐらいだというその子の家。親を呼ぶより送った方が早いと思ったのは、小次郎も同じだったらしい。

「でもおいら、魚を釣って帰らなきゃ」

確かに足元に転がった魚篭と竿がある。食材を手に入れる為にここへ来たんだろうな。でも……。

「その足では、釣りも儘ならないのではないか?」

小次郎がそう言うのも、尤もなんだけどね。その魚を待っている人達が居るのなら、それは結構キツイ選択になる

「竿と餌を借りようか。何匹釣れば足りる?」

子供の頃から父親と親しんでいたから釣りに抵抗は無いし、のんびりと魚を釣るのも偶には悪くないよね。

「あなたが釣りを?」

驚いているのは二人とも。でも、意味合いは違いそうだった。遠慮がちに告げられたのは五匹。あまり遅くならない内に釣れそうだなと思いながら、釣竿を一本手に取った。

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俺が知っているのは、とは似ても似つかない女性ばかりだ。日頃から太刀を振るう女性は平泉には居ない。女兵でなければ馬に跨るなど有り得ない。ましてや虫を掴み魚を釣る女性など……耳にした事も無い。そう考えると、この人は何事にも囚われず、何事にも精通している人間のように思えてしまう。

「ほら、小次郎も」

岩に腰を下ろし手招きするは、至極楽しそうに俺を呼ぶ。共に釣れ、という事なのだろうか?経験が無い訳ではないが、幾年も前の事。不安に思いながら覚束無い手付きで竿を振れば、これまでに聞かされて来たあやふやな答えの意味が解った気がした。

「頭では忘れても身体は覚えている……か」

そういう事だと笑うは、早速釣り上げた魚を魚篭に入れていた。河原で足を伸ばす男子は、しきりに此方を気にしている。流れに揺れる竿先を見つめる俺は、その先に広がる景色を只見ていた。

「意外と簡単に釣れるものなんだねぇ」

二人同時に釣り上げた時、ぽつりと呟いた。ふとした疑問をぶつけると、幼子の頃は父親とよく釣りに出掛けたと言う。滅多に聞く事の無かった自身の過去が、垣間見えるような答えが。

「ある程度大人になってからは、釣りをする機会があまり無かったからね」

の父上も、お忙しい方なのか」

きっとそうなのだろうと思われた答えは、既に亡くなっているというものだった。非礼を詫びれば、気にしなくとも良いと。武将として戦に散ったのかと問えば、木っ端役人で病に倒れたのだと。

、一つ聞かせてくれ。あなたは何故、太刀を持ったのだ」

「それが必要だったから、だね」

下級役人の娘としてならば、太刀を持つ必要など無い筈だ。呪術を学ぶ事など尚更。なのに何故、それが必要だったのか。守らなくてはならないもののある俺とは違う筈のが。

「小次郎、引いてるよ?」

「ん?……あ、ああ」

上げた竿先に、染まりかけた陽が見えた。魚篭を水へ戻し再び竿を振ろうとした時、これで五匹だと言ったの声で、俺の疑問はそのまま残される事が決まった。

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そこそこ大きな魚が五匹。模様からすれば、アマゴとイワナかな?釣りをしたのは久し振りだった。もっと暑くなれば、アユが釣れるんだろうなぁ。鞍馬で釣りをしたのは、リズヴァーンが小次郎くらいの頃だったっけ。

「腫れは引いてるね。二、三日は動き回らない方が良いだろうけど」

「そんなに?」

「治さぬまま動けば、更に酷くなる」

この世界では、たとえ子供でも大事な働き手なんだ。身分の違うこの二人も、同じように家族を助ける為に動く。親子、兄弟、親類、仲間。大事な人達と生きていく為に――。

「小次郎、その子を乗せて行ける?」

「ああ。道具は任せる」

緊張している男の子を抱き上げて小次郎の後ろに乗せると、ありがとうと小さく呟いたのが聞こえた。赤く染まる太陽を背に後へ続くと、どこか似た二人の男の子の背中を見ながら馬を進めた。

「人の厚意は素直に受け取るものだよ?」

「ふぅ……解った。では、頂いておこう」

小さな家に居たのは、二人の女の子だった。小次郎よりも少し年上に見える女の子と、男の子よりも更に小さな女の子。両親が帰っていないから、せめてお礼にと言ってた。

「自分達で食べる物を…」

「それがあの子達に出来る精一杯なんだよ」

「それなら尚の事、俺には不要な物だ」

「小次郎、人の心を踏み躙るような言葉は誤解の元だよ?」

自分には不要。あの子達には必要。時間と労力を削って手にした筈のそれを人に寄越さずとも、自分達で食べれば良い。――なんて、優しい言葉に出来ないのは解ってるけどね。

「あの者達も……守るべき、平泉の民だ」

「そうだね」

「それに、俺は感謝されるような立場ではない」

「人はいつも誰かに何かを思うものなんだよ」

「?……どういう意味だ」

「全ての思いを受け入れろ、とは言わないけどね。受け止めておかなきゃ、後で後悔する事もあるって事」

それを修復したくても出来ないような事態になる前に。少しでも多くの人が、その人となりを理解してくれれば良い。巧く言葉に出来ない優しさを解ってくれる人が、少しでも多く居てくれれば良い。

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日暮れに厩へと向かう。今日一日、俺は何をしたのだろうと考えながら。何もせず、然るべき事をしたまでだった。あの子供を助けたのも俺のするべき事であって、感謝されるような事ではない。

「俺は……受け入れるべきものを受け入れていないという事なのか?」

「そんなトコだね。偶には素直に言葉にするの事も必要なんだと思うよ」

笹籠に盛られた一粒を差し出し、口。とだけ告げる。訳が解らず、は?と返した時。小さなそれが放り込まれた。僅かな甘味と微かな酸味の交じり合った実は、砂糖菓子には似ても似つかず。

「お味は?」

「美味い……な」

常日頃口にする物とは違ったそれは、かといってそれに負ける事もない。寧ろその鮮やかさに惹かれるようにして、先を求めたくなる。

「後でまた、頂こう」

「ふふっ。素直で宜しい」

それはまるで、満足気に笑みを浮かべるあなたのようだ。俺がそう言ったなら……。、あなたは何と答えるのだろう。

「じゃ、私は部屋に戻るよ。またね」

「ああ。また明日、伺う」

局に戻るその背を、いつか越す事が出来たのなら。その時こそ、俺は告げよう。この想いを、誰でもないあなたにこそ。





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(壁紙:薫風館/杜若様)

下は以前の後書きです。

泰衡元服前の話。らしくなくとも、誕生日SSなのです。
今更ながらですが、「桜散る」の泰衡と九郎は年齢設定が違う事にお気付きの方、居られるでしょうか?
史実とゲームでは違い過ぎて、ネット検索しまくった挙句に泰衡は九郎の二つ上。九郎はゲーム設定よりも三つ上という事態に。

直せなくてごめんなさーい!!





朔良宴・橘朋美







FileNo.103 2007/5/20 ※2010/10/4修正加筆