最初の言祝ぎ



「ふぅ。ありがとな、また頼むぜ?」

日差しが強くなって、今日はこれくらいにしようかっていう声で身体中の緊張を解く。此処に来て二ヶ月。戦えない奴は生きていけないと解ってからの日課になってる。を相手に剣の訓練をするのにも慣れてきた。木刀じゃ実践には使えないが、木刀すら扱えなければ刀は持たせられないなんて言われりゃ、返す言葉も無い。それならさっさと上達するだけだ。

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汗を拭う事も無く、階に置かれた桶を取り、頭から水を浴びる。

「やっぱこっちでも夏になりゃ暑いんだな」

濡れた髪をかき上げながらなんとなしに呟くと、後ろでくすくす笑う声。何か可笑しな事でも言ったか?振り返ると、木刀を持った狩衣姿の男にしか見えない奴が楽しそうに笑っていた。こいつが普通に笑うのを見たのは初めてかもしれない。こんな風に笑う奴だったんだな。思わず見惚れたその顔は、少しばかりの汗が光っているだけ。汗だくになってる俺がバカみたいじゃねえか。

「ふふふ。あ、ごめん。悪気は無いよ?私も昔、同じ事言ってたなって思ってさ」

そう言って穏やかに微笑むは、どう見たって女でしかない。冷笑を浮かべる時は男にしか見えないのが不思議なぐらいだ。表情らしい表情を見せなかった頃は、女だなんて意識しなかったんだがな。

「大丈夫?将臣。涼みたいのなら、川遊びにでも行ったら?」

物思いに耽っていると、少し目線を上げてそう言う。

「そうだな。お前、どっか良い場所知ってるか?」

「知ってる。けど、結構遠いよ」

「んじゃ、練習がてら馬で行こうぜ」

乗馬の練習にもなるし一石二鳥だろうと思った俺の提案は、早駆けがやっとじゃ歩く方が早いと言われて一蹴された。一刻もあれば着くよ、っていう嬉しくないオマケ付きで。剣だけじゃなく、馬もまだ訓練が必要ってか。

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「ここ。中々でしょ?」

昼飯後に邸を出て漸く着いた渓流は、木々に覆われて隠されているような場所だった。

「ま、山登りした甲斐はあったな」

確かに涼しいし、川も綺麗で滝まである。喉を潤して中身の減った竹筒に水を汲むと、、手に触れた水は冷たく感じるぐらいだ。

「逸れたらここに集合ね」

なんて、その背後で引率の先生みたいな事言ってやがる。俺はガキじゃねえって。実際そうなんだから仕方ないんだろうが、年下扱いされるのにはいつまで経っても慣れなかった。

「昼寝するだけなら逸れもしねえだろ」

そう言って、滝の近くにある木陰に寝そべった。暑い中歩き通した身体の疲労感に、ヒンヤリとした心地良さ。帰りは夕方だから少しは楽だろうな。――希望的観測を思い浮かべて欠伸を一つ。意識が落ちる前に横槍が入った。

「ご尤も。私も寝る」

「お前が寝るって、人の居る所でか ?」

躊躇いもせず真横に寝転んだともみに驚いて、思わず大声を出す。こいつは人目のある所で眠らない。実際、これまでに見た事が無い。ああ、いや。あるにはあるが、あの時はかなり特殊な状況だったからな。

「ここに居るのは将臣だけだし、平気だよ」

何を言っているのかとでも問うように俺を見る顔は、次第に不思議そうな表情になっていく。身体を起こしてそれを見れば、子供みたいに首を傾げた。

「将臣。今日、何があった?」

一言ずつ何かを確かめるようにして聞いてくるが、それは俺が聞いたいっての。普通に笑う、人が居るのに眠ろうとする。どういう心境の変化だ?耳の後ろに手を当てて一応考えはするが、さっぱりだ。

「いや、何もないぜ?」

当然だろ。朝起きて飯食って、訓練して、昼飯食って、ここに来ただけだ。強いて言えば、お前の態度か。

「今朝から、いつもと違う気が巡ってるんだけどなぁ」

今度は反対に首を傾げて腕組みまでして考え込んでやがる。何なんだよ、いつもと違う気の巡りってのは?解んねえ奴だな。

「全く感じた事の無いものじゃなくて、いつかどこかで感じてる筈なんだけど」

目を閉じて腕組みしたまま少し俯いて考え込んでいるは、大概の奴等が美しいと褒めるのがよく解る。中性的な外見を持つ所為で服装次第では男にも女にも見えるが、普段は表情を崩す事も無く、凛とした視線と言葉を相手にぶつける奴なのに。これは……誰だってんだ?見た目が変わった訳でもねえのに、年の近い普通の女に見える。つーか、子供に近いんじゃないか?

「ちょっと耳貸して」

言い様に両側から俺の耳を塞いだが目を閉じたまま何か呟いて、一瞬驚いた後。俺の目の前で、徐々に嬉しそうな表情に変わっていった。こいつ、綺麗な顔してるな。睫も長くて……こんな笑い方もするのか。光を浴びた髪と同じような、透き通るような……惹きつけるような――。

「―――っ、で?結局何だったんだ?」

「ふふふ。判ったよ。今日、何があったか」

「俺にか?」

本人に心当たりが無いのに、何でに解るんだ?眉を顰めてを見ると、更に楽しそうに微笑んで俺の目をじっと見る。

「自分で気付いた方が良いかもしれないよ?今夜中には教えてあげる」

そう言って、さっさと眠っちまった。こんな風に楽しそうなを見ているのは、どうしてか落ち着かないような――妙な気分になる。結局俺は直ぐに寝る事も出来ず、隣にあるその顔を眺めてた。

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夕方っていうより、夜に近いか?滝の飛沫と夜気から感じる肌寒さで目が覚めた。隣を見ると、はまだ寝たままだ。こうも熟睡する奴とは思わなかったが……取り敢えず起こすか。これ以上暗くなっちゃ山道はキツイからな。肩に手を掛け、声を掛けようとした時だった。

「―――?!」

一瞬、何が起きたのか解らなかった。ただ、殺られると思った。身動きどころか、声も出せずに固まってた。向けられた殺意に気圧されて。

「将、臣?……ごめん」

俺を見下ろして呟いたの手にある短刀は、俺の咽喉元にピッタリ当てられていた。俺だと気付かなければ、そのまま真横に――引かれてたのか?一瞬焦って対応が遅れたのは仕方がないだろう。

「悪ぃ。驚かせちまったみたいだな」

短刀を離して哀しそうに俺を見下ろすは困ったような笑みを見せてから、組み敷いていた身体を離した。その後、そのままの表情で一言。

「言ったでしょう?」

何を……俺はそのまま、の目を見続けてた。

「手より先に言葉を掛けろって」

言われて漸く思い出した。初めて会った頃にそんな事を言ってたが、まさか寝てる時までそうする必要があったとは思ってもなかった。

「あぁ、そうだったな。悪い」

言った瞬間。更に困ったような顔をして、はっきり言った。

「ごめん。でも、自分の身は可愛いでしょう?だから気を付けて」

拙い事しちまったな。昼間みたいな雰囲気は欠片も無い。殺されかけた俺よりもこいつの方が辛そうにしてるなんて妙な話だが、殺したいと思わなくても殺しちまえるんだろうな、こいつは。だから殺させないように行動しろって事か。

「遅くなったね。帰ろうか」

そう言って歩き出したの表情は暗くて判らないが、どう考えても良いもんじゃないって事ぐらい判る。ほんの少し前を歩く背中を見ながら、自分の失態を悔やんだ。慰めも、言い訳も、下手な同情も無駄だ。言ったところで意味は無い。それどころか、もっと拗れるだろう。一言も喋らず黙々と歩き続けていると、昼間の事が嘘だったんじゃないかと思えた。

「なあ、昼間言ってたヤツ、結局何だったんだ?」

「ん?ああ、まだ判らない?」

振り向く素振りも無いのは気になるが、返事が問い掛けになってるって事は、会話する気はあるって事か。

「ああ、別に何も無かったぜ?」

「そっか。じゃあ、邸に戻って着替えたら教えに行くよ」

その後は他愛ない会話が続いて、こいつに拒絶されたんじゃないと判って。それを気にしていた自分に気付いた。

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邸に戻ってお互い自分の部屋へ向かう時には、普段どおりの雰囲気になってた。今日俺に何があったのか教えると言っていたが現れたのは、周りの奴等が寝静まった頃だ。変わった服――こっちでは大陸風とか言うんだったったか。暗くて深い赤と黒い模様に散らばったその髪は、月に照らされて涼しげに光っていた。

「お待たせ」

そう言ったの手にはでかい酒瓶と盃……って、素面じゃ話せねえ事なのか?普通の奴なら言い渋るような事でも、遠慮無く言うこいつが?顔と手元を交互に見ていると、不思議そうに俺を見ていたが。

「酒は飲めない?」

思わず、未成年だからな――って返そうとして思い当たる。こっちじゃ判らねえか。ま、飲めなくもないし。ここじゃ意味も無いだろう。

「いや、飲めるぜ?外で飲むか」

部屋に篭ってるよりマシだろう。廊下に出て盃を受け取り、酌をされて酌をして、盃を傾けて。横を見れば、一気に酒を飲み干す咽喉元が白く浮かび上がる。今更、こいつは女なんだと思い知った。

「結局、思い出せないまま?」

「ん?ああ。思い出すも何も、変わった事なんて無かったぜ?」

お前の行動以外はな――。そんな言葉を酒と一緒に飲み込む。昼間よりも艶やかに見える微笑みは夜だからなのか、それとも酒の所為なのか。

「私も気付かなかったよ。ここじゃ年が明けた時に緩く流れる程度の気だから」

酌をしながら言って俺を見つめるその目は、見下ろされた時とは全く違う。柔らかな表情にも仕草も、あの時みたいな鋭さは見当たらなかった。

「将臣に触れて、初めて判った。何があったのか、何の日なのかね」

何の日?―――あ。忘れてた。つーか、そんな事考える暇なんて無かったぜ。とんでもない場所に来ちまって、譲や望美を探して彷徨って、死に掛けて、拾われて、強くなる事に必死で。

「誕生日、か?俺の」

「ふふ。思い出したみたいだね」

楽しそうに笑いながら何杯目かの酒を煽ってこっちを見たは、妙に楽しそうだ。

「誕生日おめでとう、将臣。お祝いは明日からの真剣稽古でどう?」

まるで悪戯の成功を喜んでいる子供みたいに笑う。

「馬術の訓練も兼ねて、今日行った滝で」

「はあ?本気なのか?」

「そろそろ刀を持っても良い頃だし、馬が操れなきゃ不便だからね」

「色気のねえプレゼントだな」

「要らなければ返却可能だけど―――」

「一度貰って返せるかっての。ありがたく頂いとくぜ」

嬉しそうな表情で笑う。くすくす耳を擽る。――ったく。驚く事だらけの一日だ。けどまあ、こんな誕生日も悪くない。そんな事を思いながら次々と酌を繰り返し、先に潰れて寝ちまったのは俺だった。

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「ふふっ。未成年に飲ませちゃ拙かったかな」

その先のの言葉を聞いていれば――。俺の驚きは、これまでよりも更に大きかっただろう。

「誕生日おめでとう。なんて、この世界に来て初めて言ったよ。おやすみ将臣」





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(壁紙:十五夜/ちゃちゃ様)

この下は、初期の”後書きらしき物”です。

サイト創設記念と兼ねてしまった、将臣誕生日記念短編。(おいおい、便乗するなよ)
如何だったでしょう?本編では会ってすらいないのに、設定が出来てしまいました…わは。(お前…それ、笑い事なのか?)
これから末永く、朔良宴を宜しくお願いします。(仕方ねえ奴だな、おい)
では、また。相方は将臣でした。(ま、気が向いたら遊んでやってくれ。じゃあな)





2006・8・12 : 朔良宴・橘朋美







FileNo.101 2006/8/12 ※2010/10/4修正加筆