「じゃあ、熊野から平泉へ向かうのか」
立っていようが寝ていようが治まらない肋骨の痛みを堪えて尋ねれば、それ以外に手は無いと弁慶が言う。私が眠っている間に向かった先では疾っくに景時の策が巡らされていて、船を降りた途端に襲われたらしい。連戦に続く連戦で消耗したんだろう。船を操るヒノエと、交代で番をしていた弁慶以外は眠っているみたいだった。
「熊野に着けば、休んでいる暇はありません」
それまでは休んでおいた方が良いと言われても素直に従う気になれなかったのは、向かう先が平泉だからってだけじゃなかった。勿論この先、泰衡が関わってくるだろうって事はかなり不安だったけど……それより、知盛の事が気になって仕方が無かった。
この先ずっと、知盛の事を隠しておけるわけが無い。なら、いつ話せば良いんだろう。海に身を投げて記憶を失ってしまった、なんて――信じてもらえるかどうかすら怪しい。しかもその状態の知盛を今のみんなに受け入れてもらえるかどうかなんて…………、考えるだけ無駄な気がする。
「」
平泉に着いて、みんなが落ち着いた頃を見計らって話すしかない。そう結論付けて守人達の所へ向かおうとした私を呼び止めた弁慶は、いつになく真剣な顔をしていた。多分、それは軍師としての顔なんだろう。ここに居る全員で、無事に平泉へ辿り着く為に。不安要素を排除する為に。
「今の君が、敵と見做すのは誰なのか。教えてくれませんか」
誰の味方で、誰の敵なのか。それは、これまでに聞かれたどんな時よりも難しい質問だった。今ここに居るみんなを守る為には、鎌倉方の敵になるしかない。だけど、あの時……今だけは見逃すと言って背中を向けた景時は、とても悲しそうだった。それを思い出すと、鎌倉方の全てが敵だとは言いたくなくて。
「敵――か。私の邪魔をしないなら、敵じゃないのは確かだね」
暗い夜、波間を進む船の上。弁慶の表情を読み取る事は出来なかったけど、それ以上、私に向けられるものは無いままだった。
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「いい加減、機嫌を直したらどうだ?」
「姫…今のお前には、何よりも静養が必要だ」
「どうせ、あいつ等に何かありゃ移し身に異変が出るだろ?」
「そうそう。その時は、ちゃんと俺達が連れて行ってあげるから」
その時、私は頗る機嫌が悪かった。守人達の考えは尤もだし、逆の立場だったとしたら、私も勿論そんな風に考えると思う。でも――。いくら頭で納得してても、感情は大人しく従ってくれるわけじゃない。
「そ、っ?!…………、」
そういう問題じゃない!!と続けるつもりだった言葉は、一音で止めるしかなかった。未だにずくずくと痛み続ける肋骨は大声を出す衝撃には耐えられなくて、その場にしゃがみ込んだ途端に四方から声が降って来る。痛みを逃そうとゆっくり息をしても効き目は殆ど無くて、こんな状況にある自分が情けなくて、悔しくて。
解ってる。今の私は、役に立たないどころか足手纏いにしかならないって。身体を動かすのも一苦労で、息をするのが精一杯なんだから。解ってるんだ。だけど、だからって――なにも全員でグルになって置いてきぼりにすることないでしょーよ!!
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オレが顔を出した時には、はもう眠らされていた。大の男が四人も揃って梃子摺らされたらしいのは部屋の荒れようからして一目瞭然で、そいつら全員がオレを歓迎してないって事も。
「誰かと思えば…ここに何用だ」
「お嬢の事は俺達に一任する。別れ際にも確認した筈だよ」
そう。一旦熊野に戻ったオレ達は、直ぐに平泉を目指す事になった。これ以上熊野が巻き込まれないよう働きかけをしておかなければならないオレと、達五人を残して。
こんな目立つ奴等と一緒じゃ厄介な事になりかねないっていう尤もらしい弁慶の提案は、怪我の具合を心配する神子姫様の意見もあって、他の奴等にも受け入れられた。それを素直に聞きはしないだろうというリズ先生の発案で、こいつ等と協力する事になって――。
を休ませたい。その為ならを騙すのも構わない。そう言って話に乗った男達は、その見た目とは裏腹に、まるで繊細な壊れ物のようにを扱う。船を降りてからずっと。眠らされたの傍らにはこいつらが居て、オレ達が近付くのを許さない。一番付き合いが長いって言われてたリズ先生でさえ、碌に近寄れなかったくらいだ。
「ああ。だけど、一切関わらないなんて約束はしてないからね」
別に事を荒立てるつもりは無かったけど、素直に返事をする気になれるわけじゃない。少しばかり苛立ちを覚えながら一歩踏み出せば、チリ――っと何かが肌を刺激する。まさか。そんな事、ある筈がない。そう思ってまた踏み出すと、更に刺激が強くなる。――冗談じゃない。ここは神域だ。その中で別の力を持つ結界が張られるなんて。信じられないっていう思いが顔に表れていたんだろう。男達の視線はさっきよりも鋭く威圧的なものになって、オレへ向けられていた。危険だ。これ以上、に近付かない方が良い。考えるよりも先にそう感じたのは、間違いじゃなかったらしい。
「それ以上近寄るな。怪我をしたくなければな」
「この結界は嬢の眠りを妨げるヤツを拒む。お前みたいなヤツをな」
つまり、――この結界は、こいつ等の手によるものって事か。だとしたら、こいつ等は普通の人間じゃない。の事は、あの目を見た時からそうじゃないかと思ってた。けど、その従者まで?しかも、この状況からしてかなりケタ外れの呪力をもってる筈だ。だけど、何でそんな奴等がここに?
は人を探していると言ってた。そして今、オレ達に同行してる。源平の争いに関わった挙句、咎人として追われている九郎義経の一行にだ。なら、探し人ってのはオレ達の中に居る誰かなのか?だとしたら、何の為に?まさか、本当に弁慶の懸念が当たってるんだとしたら――。
それを確かめる術は……。少なくとも、今は様子を見るしかない。そう決めたオレは、相変わらず剣呑な雰囲気を醸し出してる男達に用件だけを伝えてそこを離れた。これで、数日の内にははっきりする筈だ。普通の人間じゃないあの男達が、どういう類の力をもっているのか。どちらに転ぶのかは知れないけど――面倒事が増えないでくれれば良い。来る時とは反対に足取りの重くなったオレを照らす月明かり。それは眩いほどなのに、無常な冷たさだけを投げかけているようだった。
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冷たい風が吹くようになったとはいえ、高く澄み渡る秋の空は苛々した気分を少しだけ落ち着けてくれるような気がする。まあ、それで機嫌が良くなるわけじゃないんだけど……それでも。過ごし易い季候に日向ぼっこなんてしていれば、焦ってもしょうがない、なんて思えてくるんだから不思議だ。
「は〜ぁ、……まったく」
よくもまあ、見事に騙されたもんだと思う。あれは――そう、弁慶と話した後。熊野に着くまで少しでも寝ておこうと思って、守人達に頼んだんだ。痛みを消すのが無理なら、術を使ってでも良いから眠らせて欲しいって。勿論、熊野に着いたら起こしてって事も。けど、熊野で起こされた時には疾っくに騙されてたってわけだ。少しでも早く平泉に向かった方が良い筈なのに『これからの道程を考えれば近辺の情報も必要ですから』とか『最低限の物を用意して行かなければ道中の不安が増す』とか……。しかも『今は、少しでも休んでいて欲しいんです』なんて望美ちゃんにまで言われちゃって。
「あんな風に言われたら……普通、断れないでしょーよ」
もしかしたら、三草山での事を思い出してるのかもしれない。真剣と言うよりも必死な表情で訴える。そんな望美ちゃんを見てたら、つい少し休ませてもらうって返事をしちゃったんだよね。で、結局――。一日あれば済むからっていう話だった筈のそれは殆どが嘘で、私が眠らされた後、半刻もした頃にはヒノエ以外の全員が平泉へ向かったらしい。
一悶着あったのは、やたらお腹が空いて目が覚めた直後の事。妙に広い部屋の真ん中で、寝起きの頭は瞬間的に状況を悟ってた。当然みんなを追いかけようとしたけど身体は正直で、結局そのまま強引に眠らされて一晩。
「なんだかなぁ……これからが正念場だっていうのにさぁ」
強制的にとはいえ、充分に休んだ身体は欠片の疲れも感じてない。当然、気力だって申し分ない程度にはあると思う。なのに、痛みが邪魔をする。どれだけ考えても、痛みが薄れるまで我慢するしかないっていう結論に行き着いてしまう。今朝から何回目になるか判らない溜息がまた一つ、周囲に飛沫を撒き続けている大きな滝に落ちて行く。それぞれの用件に散っていた守人達が戻って来たのは、その時だった。
「遅くなったか。やはり鎌倉方の指揮は…梶原が執っているようだ」
「一行は無事に吉野を抜けたぞ。少しは気が晴れたか?」
「良い薬草が見付かったからね。きっと、痛みも和らぐよ」
「知盛は庵で大人しくしてたぜ。嬢も暫く辛抱してくれよ?」
『お帰り』っていう一言を口にしても不貞腐れた態度が抜け切らないのは、この際勘弁してもらおう。痛みが治まれば直ぐにみんなを追おう。その為に――今はみんなに甘えて、大人しくしていよう。きっと、それが今の私に出来る最大限の譲歩だから。

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やっとここまで進められた…!三章は次節でお終いです。四章は短めにサクっと書きたいトコ。で、終章は個人別ではなく共通で数話に纏めようかと。
それより何より、終章以降を個人別にしようと決めたんですが、一体どうするか……実はまだ、決定してなかったり。将臣は外せないし、重衡やリズヴァーンも書きたいし、白龍や景時も捨て難い。うーーーん……困った。
橘朋美
FileNo.034 2012/5/16 |