若院「釈明生」と祖母
智 誓 寺 沿 革 
 三十数年ほど前(1970年代後半)に、前坊守から聞いたことですが、「智誓寺では昔、2度も大きな火災に遭って、大切な物が、ほとんど失われてしまった。」とのことです。


 前住職が子供のころ、裏山の城金山(じょうがねやま)の山頂近くに御堂がありまして、それをこの富田の村に下ろしてきたのだそうです。当時、富田の村の人々から「おらがお寺」として再建事業には多大なお世話を頂いたそうです。以来、お寺の行事は、富田の皆さんのご懇意あるお取持ちによって成り立っております。


 この秋のお彼岸会に、富田の鈴木さんがお参りに来られたときのことです。2,3人でお御堂の裏廊下から書院あたりを歩きながら昔話をしていました。すると、「わしんとこの、おじいさんが、よう言っとらっせたがお寺を持って来るちゅうときはお寺の人になったみたいにようお寺に泊り込んでは仕事をしたちゅとらっせたよ。」という貴重なお話を聞かせてもらえました。 今度メモ帳を持って伺ってみようと思っています。


由緒・沿革
 住古は現地の背後の山中に、天台宗の庵があり、その場所は越田和(コイタワ)と呼ばれていた。
蓮如上人(1415〜1499)の弟子上宮寺の如光の弟子が三河各地にあって本願寺教団の布石となっていたが、文明16年(1484)の佐々木(岡崎市)上宮寺の如光弟子帳にコイワタの明了の名が見え、その後の上宮寺の末寺連判状には、明覚坊矢、祐円の名がでているので、その頃には本願寺の教線がこの地にも及んでいた由緒のある寺である。
 この地方には、コイタワ明了の時代にも、すでに赤津(瀬戸市)や御厨(藤岡村;現豊田市)にも及んでいたことがわかる。その後、江戸時代に入り、寺域も整えられ、堂宇も造られたが、安政6年(1859)焼失しその際記録も一切回録した。その後本堂を再建したが、山上で不便なこともあって、現地に本堂を移している。旧庵跡には記念碑が建立されている。
 
 本堂は寄棟造桟瓦葺の中型本堂で一間向拝付。現地に再建したのは、昭和8年起工し12年落成した。内陣部分は安政6年(1859)焼失後再建された部分(内陣天井や須彌団部分)を再用したとみられ、幕末頃の絵様彫刻が認められる。寺地は前面に畑を隔てて県道に接する。背後には山が迫る。
 
 梵鐘(延宝2年;1674鋳造)は第二次大戦中に供出したため、昭和24年にご門徒の寄進を受けて再建された。この再建に因んで旧書院が建立されたが、平成3年に現在の書院が新築されている。
 現在、庫裏は寺下東の県道に面した地にあるが、昭和初期に隣家の近藤鉱一宅(大正10年建立)が空屋となったので、買受けてそのまま庫裏にしていた。宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の記念事業として平成21年(2009)1月5日より解体工事が始まり、鉄筋二階建ての庫裏が新築された。
  

          
 延宝二年鋳造 旧梵鐘    銘曰

    参州加茂郡高橋庄富田郷
  
    越澤山智誓寺者

    聖徳太子創建霊場也

    然而後天台明覚坊学

    本願一実易行道伝

    鸞師聖人法脈云々

    
<意訳>
    延宝二年(1674年)に鋳造された梵鐘(大戦時供出)に
  刻まれていた銘文より


   参州加茂郡高橋庄富田郷の越澤山智誓寺は、聖徳太子が伝えられた仏教の道場である。
   後に比叡山天台宗の明覚というお坊さまが学んでいたが 如来の本願一実を信ずる易行の生き方を教え、広められた親鸞聖人の法脈が伝えられいる。爾来数百年の歳月が巡って いる。

  現在、御堂の前に昭和12年再建(移転)の記念碑が建てられている。ここの碑文は、大戦時に供出されるときに残された梵鐘に刻まれていた銘文の拓本をもとにされたものである。
  口伝えでは、智誓寺は中世より二度の火災に遭っており、寺の由縁を知る手掛りを失っている。誠に残念なことである。
 さらに、智誓寺の直接の中本山として仰いできた三河三か寺の一つ佐々木の上宮寺(岡崎市)が近年火災に遭われ残されていたはずの僅かな記録も確かめることができなくなっている。
  しかし幸いなことに、上宮寺火災の前に豊田市史が編纂されている。ここに、智誓寺と上宮寺のつながりが記されている。
  上宮寺の如光上人は蓮如上人が東国へ教化の旅に出られたとき(1461年〜)、直接教化を受けて帰依された。そして、上宮寺如光上人を中心として、三河本願寺門徒は著しい発展をしていった。この上宮寺如光上人の「如光弟子帳」あるいは「上宮寺末寺帳に、越田和[コイタワ(越澤)の前称]明了次いでひろせ明覚坊の名で有力末寺としての記録が残っている。
 
<豊田市史より抜粋>
  天正15年(1587年)教如上人「徳川家康の支援を得て京都烏丸七条に別に東本願寺を起こした第十一代ご住持」のご下向に伴う諸費割付帳(上宮寺蔵)によれば、市内域では、
  ・壱貫四百文  ひろせ明覚坊(富田町 智誓寺)
  ・   四百文  若林     (若林西町 円楽寺)
  ・   壱貫文  宮口      (宮口町 上覚寺)
  ・   四百文  竹村      (住吉町 西雲寺)